こんな音楽を聴いていました! まずはビートルズについてです。

こんな音楽を聴いていました! まずはビートルズについてです。

今月は橋本がお届けします。
以前、男性合唱団での活動について記載しましたが、今回は私の好きな音楽について書いてみました。今回はまずはビートルズについてです。

ザ・ビートルズは、現役の時の人気やレコードセールスは今さら述べるまでもないのですが、既に活動停止から47年も経つというのに、今でも関連したニュースが話題になり、また新たな書籍も大量に発行され、その人気は衰えを知らない感があります。そう、まだビートルズは現役といえるかもしれません。そういう意味でも本当に別格ですね。

ビートルズの魅力は、何と言っても、多彩なジャンルにわたりながらもキャッチ―な良さを備えている楽曲の素晴らしさがありますが、演奏と一体になった卓越したコーラスも唯一無比と思います。(ちなみに、私はジョン・レノンの圧倒的な声の魅力に痺れてしまいました。)なお、ビートルズについて書くとしましたら、当然その音楽的魅力について記載すべきでしょうが、いざ取り組もうとしても、あまりに多くのことがありすぎて、怯んでしまいましたので、以下、ロックバンドの人間集団としてのモチベーションの観点から記してみたいと思います。

まず、バンドとしてのビートルズのメンバーと活動期間について見てみます。
ビートルズは、当然のように、いずれも英国リバプール出身の、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの不動の4人のように語られており、活動期間は1962年10月がレコードデビューで、1970年4月のポールによる解散宣言までの約7年半が活動期間といわれています。
しかし、実はメンバー構成から見ますと、第3期なのですね。ジョンは57年からビートルズの前身となった自身のバンド「クオリーメン」を率いて活動しておりましたが、メンバーは、結構入れ替わっておりました。最初にビートルズを名乗った60年当時は、ジョン、ポール、ジョージを含めた5名でしたが、後にベーシストが抜け、ドラマーがリンゴに代わった62年8月から上記の4名となり、解散に至るまでは不動の4人でした。
ということで、今回は通例通りの4名による活動のことについて記しますが、それでは、この4人になってからはメンバーが固定し、数々の奇跡のような作品群を生み出すに至った原動力は何だったのでしょうか?

そこで、ビートルズの活動を考察するために、作品をアルバム別に見てみましょう。
私は、イギリスオリジナルの全12枚を、以下のように整理してみました。
(「マジカル・ミステリー・ツアー」のみはアメリカ編集版)
1. ジョン・レノンがバンドの中心だった時期
 ・「プリーズ・プリーズ・ミー」(英国63年3月発売、以下同じ)
 ・「ウイズ・ザ・ビートルズ」(63年11月)
 ・「ア・ハードデイズ・ナイト」(64年7月)
 ・「ビートルズ・フォー・セール」(64年12月)
2. バンドとして4人の個性が活かされ、多彩な音楽を生み出していた時期
 ・「ヘルプ!」(65年8月)
 ・「ラバー・ソウル」(65年12月)
 ・「リボルバー」(66年8月)
3.ポール・マッカートニーが主導し、スタジオワークを駆使した時期
 ・「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド」(67年6月)
 ・「マジカル・ミステリー・ツアー」(米国67年11月)
4.4人のバンドとしての実態がなくなり、ソロプロジェクトと編集により作品化した時期
 ・「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」(68年11月)
 ・「イエロー・サブマリン」(69年1月、録音は「ホワイト・アルバム」の前)
 ・「レット・イット・ビー」(70年5月、発売は「アビー・ロード」の後)
5.再結成のように4人が集まり、作品として完成させた時期
 ・「アビー・ロード」(69年9月)
(なお、純粋に音楽的な傾向からは、初期:デビューから「ヘルプ!」まで、中期:
「ラバー・ソウル」から「マジカル」まで、後期:「ホワイト・アルバム」から解散まで、と分ける方が妥当です。)

このように見渡してみますと、結局、ビートルズはレコードデビュー前からジョンのバンドとして機能し、ジョンがバンドの維持に関心をなくしてからも、ポールが主導権を握ることによって何とか活動が継続されたが、限界を迎えてからレコーディングのために再結成し、その後自然消滅した、と理解するのがバンドとしての大きな捉え方といえるのではないでしょうか?

それではここで、メンバー間の心的関係を考察してみます。
もともと、1957年7月にポールがジョンのバンド「クオリーメン」の演奏を聴くことで2人は出会い、ポールはバンドを率いているジョンに魅せられ、ジョンはポールが多くのギターコードを正確に知っていることで、バンドに入れることにしました。そして、ポールが学校の1年後輩で、さらに多くのコードを知っているギター少年だったジョージをバンドに紹介しましたが、ジョージにとっても、やはりリーダーのジョンが兄貴分の存在でした。また、リンゴはリバプールのライバルバンドのドラマーとして知られており、実質引き抜かれたことから、他のメンバーからは一目置かれていましたが、バンド内の人間関係としては融和材的な存在でした。

したがって、バンドとしては、大半の曲を書きボーカリストとしても傑出していた、ジョンとポールという2人の天才が柱となっていましたが、「ジョンに対してのポールとジョージのあこがれと、それを見守るリンゴ」という基本的な図式がバンド存続の牽引力であったことは、解散に至るまで大きくは変わらなかったのではないかと思われます。
なお、数多くのヒット曲を送り出し、また殆どの楽器を見事にこなすポールが、音楽的には最も優れていて、移り気なジョンに代わって音楽面で引っ張っていたからこそ、中期(特にリボルバー以降)から先のビートルズが存続できたという見解には異論は少ないでしょう。比類なきバンドに育てたポールの貢献は計り知れないものがあります。

しかし、ポールは音楽面でのリーダーにはなれても、バンドという人間集団のボスには最後までなれなかった、ともいえるのではないでしょうか?
結局、リーダーでありボスでもあったジョンが、いわばメンターとしても君臨していた“勢いがあって幸せだった時代”から、ボスであるジョンがバンドに興味を失い、音楽面のリーダーはいてもボスは不在となり、“プロとして秀逸な作品を創り上げることはできた時代”へと移行しました。そして、ポールとジョージが、あこがれのジョンがもう振り向いてくれないことを悟り、またリンゴの調整力も及ばなくなったときに、唯一無二のバンドは内部から崩壊したのでした。(ちなみにジョンは、ヘルプ!の頃には、すでにバンドを解散しても良いと考えるくらい気持ちは離れつつあったとのことですが、通説とは逆に、66年にオノ・ヨーコという同志と出会ったことで、持ち直したようです。)

ところで、ビートルズが傑出したバンドとなれた大きな理由の一つに、私は4人のパーソナリティの違いを挙げたいと思います。
そこで、以前紹介した性格心理学「エニアグラム」による分析を試みてみました。
私見では、各メンバーのタイプは以下となります。
・ジョン・レノン=タイプ4(個性的な人)
・ポール・マッカートニー=タイプ3(挑戦する人)
・ジョージ・ハリスン=タイプ1(完全を目指す人)
・リンゴ・スター=タイプ9(調和と平和の人)
それぞれのタイプを選定した理由については、スペースの関係で割愛させていただきますが、これらのパーソナリティの違いがベースにあり、かつ音楽的・人間的成長が見事に相俟って化学反応を引き起こしたことで、ビートルズはあれだけの存在になった一面もあると、私は考えております。ちなみに、メンバーが不変な他の著名なバンド、例えばレッド・ツェッペリンやクイーンも、全員が違うタイプと思われます。このような見方は面白いですよ。

ここで改めて考えてみますと、ビートルズはあれだけの素晴らしい作品を残しましたが、各メンバーは、皆それぞれの生き方を探し、成長していく時期でもある20代だったのですね。20代にあれだけの仕事をしてしまったメンバー(特にポール)の、解散後の大変さは想像を絶するほどであったでしょうと、妙なところで心情に思いを巡らしてしまいました。
そして、今回改めて聞き直してみて、今でも私たちに多くの感動を与え、また多大なる影響を及ぼしているビートルズは、まさに奇跡としか言いようのない、次元の違う存在だったと、改めて実感しました。

ということで、とても駆け足でしたが、書き始めると全く限りがありませんので、詳細については、また機会を設けてみたいと思います。

なお、以下はおまけで、私が元々どんな音楽を聴くのが好きだったかを少々紹介させていただきます。
私が最初に買ったレコードは、吉田拓郎の「結婚しようよ」のシングルでした。その後数年は、青春の伴走者のように、吉田拓郎のシングルとアルバムをほとんど買い、かなり聴き込みました。
そして同じころ、ビートルズが好きな生徒がクラスにいたこともあって、お小遣いをはたいてビートルズの赤盤、青盤のベスト盤を買って聴き込んでから、ビートルズにはすっかりはまりました。洋楽では、レッド・ツェッペリンに代表されるハードロックと、キング・クリムゾンやジェネシスをはじめとしたプログレッシブロックは、かなり聴き込みました。主にブリティッシュ・ロックでしたね。
また邦楽では、男が惚れるバンドといわれた甲斐バンドや、そして今でも限りないリスペクトをもって聴いている中島みゆきさん(どうしてもさん付けをしてしまいます)が、好きなアーティストです。
その他、クラシックの分野では、父が好きだったこともあり良く聴いていたショパンや、全音音階による不協和音を多用した、西洋音楽の枠にとらわれない妖しい印象を持つドビュッシーは好きです。加えて現代音楽に分類されますが、ゴジラの音楽に代表される伊福部昭の独自性を持つ土着的な世界観には、とても惹かれました。
また、ジャズはあまり聴いていたわけではないのですが、ジョン・コルトレーンだけは、そのストイックな、魂をさらけ出すようなサックスの迫力には恐れ入り、聴き込みました。
今回は以上といたします。

おまけ、今月の2枚

自宅の近く、都電学習院下駅付近の、神田川沿いの満開の桜をバックにした都電です。
ちなみに、都電は今年から“さくらトラム”という愛称になったとのことです。
(4月撮影)


GWに家族と出かけた、大好きな京都東山のシンボル法観寺の五重塔、通称“八坂の塔”です。
晴天の夕日に映える塔の立ち姿がとても艶やかで、何度も振り返ってしまいました。
(5月撮影)