男女間のコミュニケーションについて考える~男女の脳の違いに起因する、は本当か?

 今回は橋本が担当いたします。
 職場や家庭など、人と人との間に生じる問題の70%は、コミュニケーションに原因があるといわれておりますが、実はこの割合は、どんなにSNSなどのコミュニケーションツールが発達してもあまり変わっていないようです。
特に男女間の会話については、ビジネス上のみならず、日常生活であっても、
 ・女はどうして、こんなことに、そんなに感情的になるのだろう?
 ・男って、何でこんなに鈍感で、こんなことにも気づかないの?
といった、思わず「え?」と感じてしまった経験は、少なからずあるのではないでしょうか?
今回は、私が関心を持っているテーマの1つとして、「男女間のコミュニケーションのスレ違いを招いてしまう根底にあるのは、男女の脳の違いに起因する」という説について、なかなか興味深いことが分かってきましたので、そのことについて述べてみます。

 男性脳・女性脳という言葉が広く知られるようになったのは、世界的なベストセラーとなった『話を聞かない男、地図が読めない女~男脳・女脳が「謎」を解く』(アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ著、主婦の友社、2000年日本発売)といってよいと思いますが、同書では、「男性は言語能力が劣っているため、人の話が聞けない」「女性は空間能力が劣っているため、地図が読めない」ことをはじめ、男性脳と女性脳の違いからくるそれぞれの特徴について指摘しております。(ちなみに、近年の研究では、方角や距離を記した地図が与えられた場合は、男性が正確に場所にたどり着くが、特徴的な建物や樹木など、具体的な目印や左右を使った指示を出した場合は、正確さは逆転し女性が上回るとのことです。これほど、この分野の研究成果は変わっているということですね。)

 また、最近では、2018年10月発刊された『妻のトリセツ』(人工知能研究者・感性アナリスト・黒川伊保子著、講談社+α文庫)が結構話題となりました。同書は刺激的なタイトルながら、特に夫婦間での会話や感情のすれ違いは、男女の脳の反応の違いに起因し、その違いを知ることが、円満のヒントとなるということを記しております。
 しかし、本書には科学者から否定的な意見も数多く出されました。その代表的な見解としては、「データの科学的根拠が薄く、脳科学の最新の研究成果を反映していない。男性の脳、女性の脳の平均値を集団として比較した差があっても、そのことで、男性の脳、女性の脳についての一般化はできない。脳には個体差が大きく、環境や教育などの様々な要因からの影響を受けるので、単純な因果関係で説明はできない。」(認知神経科学が専門の四本裕子東京大学・准教授、ナショナルジオグラフィックWeb記事より)があります。

 脳の性差は、OECD(経済協力開発機構)が2009年に公表した報告書で、科学的根拠が薄い「神経神話」として警告しているうちの一つであるといいます。このように、例えばUFOや超能力のように、研究する対象の存在が怪しいか否かではなく、科学的に信頼のおける方法によって検証することのない(あるいはデータとして乏しい)ことを根拠にして主張をする、手法に問題がある論説は、「疑似科学」として、流布根拠することには危険性があります。代表的な例としては血液型による性格学があり、これによるレッテル張りや相性の推定などは、確かに避けなければいけないものです。

 それでは、「科学的な根拠が薄い」からといって、男女の脳の違いからくる傾向については、学ぶには値しないと切り捨ててしまうべきなのでしょうか?その問いについては、私は必ずしもそうではないと考えております。というのは、私は、先ほど紹介した黒川氏監修のセミナー「ダイバーシティ・コミュニケーション講座」を受講したことがありますが、結構新鮮な気づきがありました。
 この講座は、「男女が同様の教育を受けている現代社会では、意識して行う思考や行動に男女差はあまりありませんが、実際のコミュニケーション上で、思いがけない食い違いが生じてしまうのは、男女脳の感性領域のから生じる、無意識の、とっさの快・不快」が異なることが原因と考えると、説明がつくことが多い」として、「良かれと思っていることが裏目に出るケースがあり、互いに悪意がないために、かえって根が深いとも言え、単に感情面での問題にとどまらずに、ダイバーシティ推進の大きな妨げとなってしまう可能性にもつながります。」という考えのもと違いに、組み立てられております。
 ・目的の分からない話でストレスを感じる男性脳、共感してもらえないとストレスを感じる女性脳。
 ・大きな空間や複雑な気候を素早く把握する男性脳、興味の対象や僅かな変化も見逃さない女性脳。
 ・端的に言うと、ゴール指向問題解決型男性脳、プロセス指向共感型女性脳。
ということなど、かなり、男性・女性の行動傾向を知るヒントになると思われます。

 そこで、男女の脳の違いについての、黒川氏の考え方を紹介いたします。
 「男女の脳は、解剖学的には違いがあるとは言えません。男性にしかない器官や、女性にしかない器官があるわけじゃない。大きさのバランスが違う程度。ここにエビデンスを求めてしまうと、常に『そうとは言い切れない』という疑問にさらされます。しかし一方で、〝脳のとっさの使い方〟には、男女それぞれに類型があることがわかってきています。このとっさの使い方の違いが、現実世界の男女のミゾを作っているので気をつけよう、というのが、基本にある考え方です。」
 ここで述べているのは、静的にはほとんど違いがないということは科学的に認められるが、動きを伴った無意識な反応の傾向について類型がある(違いがある)ことも、(必ずしも科学的な検証はできないかもしれませんが)現実的には知っておくことが役に立ちますよ、ということで、その捉え方は、私も支持しております。
 このように、ある事象が科学的な手法で説明がつくかどうかということと、必ずしもそうとはいえないことも認めることは別の問題ですので、こうしたことにも、自分のこととして、自分の頭で考えることが必要ということを、強く思っております。
 なお、今回は男女の行動の違いを、男女脳の観点から取り上げてみましたが、社会的な環境や文化の違いから、無意識に影響を受けているという「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」や、性別としての男女とは別の、心理的・精神的な「男性性と女性性」という切り口から捉えることも、とても示唆が多いですので、これに関しては別途調べてみようと思っております。


今月の1枚
GWに出かけた葉山の海岸で、偶然晴れた落日を見ることができました。
左側に富士山、右側に落日、そして中央に海上の鳥居があり、
結果として、なかなか絶妙なバランスになったと思います。(5月撮影)

2019年08月20日(火)

お城のエレベーターと転売の話し

少し間が空いてしまいましたが、スタッフブログ6月分を大里が担当させていただきます。

最近のニュースの中から個人的に気になった話ですが、先ず安部総理のG20サミット夕食会での大阪城エレベータ発言について。

「明治維新の混乱で大阪城の大半は焼失したが、天守閣は今から約90年前に16世紀のものが忠実に復元されました」
「しかし一つだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまで付けてしまいました」

私は特に安部指示派ではありませんが、今回の問題に限っては安倍総理の考え寄りです。
個人的にお城は好きなのであちこち行きましたが、直接見た中で一番好きな松本城は、ほぼ創建当時の状態であり、古木の味わいに直接触れたり、天守閣の急こう配の階段を昇る事で当時の雰囲気を実感する事ができました。
逆にコンクリづくりの名古屋城にはがっかりした思い出があります。(その名古屋城もエレベーター問題が発生してますね)

再建予定の名古屋城も含めて問題になっているのは、障害者や高齢者の為にお城もバリアフリー化しろ(又は否定するな)という事ですね。
すみません、私は、ここにどうしても違和感を感じてしまうのです。

公共交通機関、官公庁、医療関係、百貨店、レジャー施設等、生活に密着している場所や一般的な観光施設でのバリアフリー化は必要と思います。
お城も観光施設と見られなくはないですが、それよりも歴史的文化財という大きな側面があります。
失われたお城を文化財として再構築するならば、耐震や防火等の最低限の設備追加はあっても基本は当時のまま再現するべきだと思います。

社会の動きとしてバリアフリー化が正義みたいになっていますが、時と場所によっては、体調や年齢を鑑みて諦めさせる判断も必要ではないでしょうか?
全ての人が差別なく同じ条件や場所に立てるというのは理想ではありますが、性別や体力など避けられない個人差は必ずあります。
過剰な設備投資で克服する道ばかりではなく、お互いに納得できる回避案を示す事も大事だと思います。

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某小説家さんが新刊を発行されて、その記念に東京のいくつかの書店でサイン本を用意されました。
その際Twitterにて、「サイン本の転売を防止する方法を検討している」とつぶやいた所、その小説家のファンの一部によって炎上する事態となりました。
この作家さんとしては、自分のファンに対してサイン本を提供したい思いでのつぶやきだったのですが、炎上させた側のファンの言い分としては、

「転売屋のおかげで、入手手段のない地方のファンにも購入するチャンスが生まれる。」
「東京だけでサイン本を出すな、出すなら全国で出せ、不平等だ」
というのが多くの意見でした。

この小説家さんはすぐにTwitterにてご自身の思いをより詳細に伝えて早期にこの問題を収束させたのは幸いでしたが、東京の書店だけでサイン本を出したのは、恐らく出版社側の意向であると思いますし、直接作家さんを攻撃するのは筋違いと思うのです。
まあそれは置いておいて、ここでの問題は転売の是非にあります。

そもそも転売は法的にグレーゾーンであり、チケット等一部では迷惑防止条例にあたります。
販売元の承認なく本来の価格に自分の裁量で価格を上乗せして販売するので、商品の提供側からは悪と見られるのは自然な事だと思います。
一方で、入手出来ない場所にいる人や入手機会を逃した人にとっては、貴重な入手経路かもしれません。

ただ、ここでも思うのですが、先ほどの話題と同様、諦める事も必要だと思うのです。
私も地方出身ですが、イベントや特別販売など、いつも東京ばっかりという気持ちを私も持った事がありますが、同時に仕方ないかと割り切ってもいました。

しかし、今はネットがありSNSの時代です。
情報が瞬時に全国で共有でき、作家に直接意見を言える機会もある時代です。
その為、ささいな事で不平等を訴えたり、偏向した意見で攻撃する輩が激増し、時にマスコミまで便乗するケースも見受けられます。
これらの対応はネット以前と比較するととても幼稚な反応に思えるのです。

話を転売に戻しますが、この諦めるをどうもネガティブに捉える節があるのですが、そうではなく、これは所謂大人の対応と認識して欲しいのです。
転売について肯定する人は(一部やむにやまれぬ事情の方もいるとは思いますが)「欲しい!欲しい!」「行きたい!行きたい!」と駄々をこねる子供に見えてしまいます。
まあネットの場合実際未成年ユーザーも多いでしょうから、本当に子供の意見という可能性はありますが、、、

ネット社会が影響を与えている事案が確実に増えていく中で、本質を見定める目を持つ事がとても大切であり、また難しい事でもありますね。

2019年06月30日(日)

課題解決の決定版!?

今回は、鈴木がお送りします。
多くの企業では、解決すべき課題を特定した後、十中八九「原因究明」をされています。
当然、それはとても大切なことです。
その原因究明において「いつも引っかかるなあ」ということ、ありませんか?

それ、「人」が関わる課題ではありませんか?

実は、原因究明が確実に進むのは、業務フローや工程が明確になっていて、
すべての仕事において遂行すべきことが決まっていること、に絞られるのです

…カンの良い方はお分かりかと思います。
そうです、「人」が関わると、課題は途端に混迷を極めます。
原因の特定がいつしか「悪者探し」「他社批判」になるのです。

そうなれば、課題解決どころの話ではありません。
一気に社内の関連する部署や社員同士の関係性が悪化し、ひいては業績の悪化にも
つながります。大きな影響を及ぼすのです。

ではどうすれば良いのか?
「人」が関わる課題は、どのように解決すれば良いのか?

そこで登場するのが「ソリューションフォーカスアプローチ」です。

起きていることを認識しつつ、課題への原因究明は一切せずに、
「どういう姿があるべきなのか」だけに特化して考えるのです。
原因には一切触れずに、解決策にのみ力を注いで考えるのです。

如何でしょうか?
課題の内容を俯瞰し、フローやルールの改善で解決する以外の「人」が絡むことには、ソリューションフォーカスアプローチを取ってみてください。
解決すると同時に、原因であろうことの解消ができていることもあります。

時間は有限であり、どこに意識を向けるべきか。それは経営を遂行する上で
とても大切なことと考えます。

2019年04月15日(月)

櫻井信夫写真教室作品展「視点ⅩⅨ」のご案内

今回は1年ぶりになりますが、橋本から写真展の紹介をさせていただきます。
私が趣味で参加している写真家櫻井信夫氏の写真教室では、毎年1回、撮りためた写真の中から、テーマを決めて5枚の組み写真の形で展示をしており、以下案内となります。

本年のテーマ:瀬戸内アートの島への誘い

今回の写真展では、昨年、久々の陽光まぶしい夏に、家族で瀬戸内のアートの島、直島と豊島(てしま)に出かけたときの写真から選びました。

美麗な瀬戸内海に抱かれた大小の島々と、点在する現代アート作品が織りなす光景に接し、時に豊かな自然から、時にアーティストの想いから、様々な贈り物をいただきました。
旅に求める非日常の世界は、現実からの解放や未知なるものと出会う魅力がありますが、今回自然の中のアートに触れることで、その両者が相まって、優美とも不調和ともいえるイマジネーションを掻き立ててくれました。
そして、あと何回家族旅行に行くことができるのだろうか、とも思いました。

アートの島の醸し出す空気感を、少しでもお伝えできましたら幸いです。

【今月の2枚】

ようこそ


硝子越し、ねえ

なお、当日は、同会場に併設で、写真家櫻井信夫の写真展も開催されます。
こちらはプロの写真ですので、見応えがあります。

【写真展概要】
日 時 : 2019年4月5日(金)~7日(日)
午前10時~午後6時まで(最終日午後4時まで)
場 所 :三鷹市芸術文化センター
三鷹市上連雀6-12-14
交 通 :JR三鷹駅南口 小田急バス②番乗り場で乗車
3つ目「八幡前・芸術文化センター」下車 バス停前
会場URL:http://mitaka-sportsandculture.or.jp/geibun/access/

2019年03月29日(金)

スマホ10年~iPhoneにAndroidにMVNOなど

私的スマホ事情

私が初めてスマホを購入したのは2008年頃になります。
まだ携帯電話が全盛期で、スマホの認知度も世間的にはまだそれほどでもなかった当時、会社の同僚がiPhone 3Gを使っていたのですが、ちょっと興味が沸きまして、私もiPhone…とはいかず、ちょっと捻くれていた私は違うメーカーで且つ仕事PCとも連動できそうだった、今は無きイーモバイルにて販売されていた、WindowsMobileのHTC Touch Diamond S21HTを購入しました。

その頃のスマホ界はiPhoneが一歩リードし、対抗馬がぼちぼち生まれはじめていたものの、いずれも手探り状態という感じでした。
で、私のHTCのS21HTですが、ハッキリ言ってゴミでした(号泣)
そもそもWindowsMobileの未来に期待して購入した経緯があるのですが、このOSが本当に仕事しないし、サポートも駄目だし、拡張性も無かったし、なまじ同僚のiPhoneを側で見ているんで、操作感とか雲泥の差でした。
結局ほとんど使う事なくS21HTは置物になりました。

そして2011年10月、メインの携帯がauだったのですが、そのauでもiPhoneが販売される事になりました。
ポイントなんかも溜まっていたし、WindowsMobileに失望していた私は、遂にiPhoneの軍門に下る事となったのです。
購入したiPhone4sはAI言語システムのSiriが初搭載された機種であり、またスティーブジョブスが関わった最後のiPhoneでもありました。
この機種は本当に優秀で、2015年まで使いました。その間iPhoneは5~6sへと毎年バージョンアップし、私もどこかのタイミングで機種変更するつもりいたのですが、この毎月の料金への不満が高まっておりました。
携帯の頃は月にせいぜい2~3千円程度だったのが、iPhoneでは7千円前後となり、そのiPhone自体もバージョンアップする毎に高額になっていくので、iPhoneそのものの問題ではなく、料金的な面での機種変更を検討するようになりました。
ただ最初に購入したS21HTの失敗がまだ尾を引いていて、当時対抗勢力に成長していたAndroidへの乗り換えに躊躇もしていました。
2015年頃は格安SIM(MVNO)が広まりつつあり、またSIMフリー端末も増え始めていた頃でもあります。

で、そのSIMフリー端末の波に乗っかろうと登場したのが、VAIO PHONE(VA-10J)で、私はこれにMNP(電話番号も引っ越し)でb-mbile(日本通信)に機種変更しました。
ご存知の方もおられるかもしれませんが、このVAIO PHONE(VA-10J)は大不評で、VAIOロゴ以外にVAIOらしさを出すような機能がまるで無く、価格もやや高めだったんで、随分叩かれた不幸な機種でした。
私もVAIOの名前に引かれて買った口で、自身チョロいのかもしれませんが、端末としてはAndroidを見直す機種となりました。
iPhnoe信者にはAndroidの操作感とかまだまだ不満を覚える方も多いようですが、なにせHTC S21HTの衝撃を覚えているだけに、個人的には全く問題ないレベルであったし、なんと言ってもGoogleとの連携がとても良くて、仕事PC、タブレット、ノートがGoogleを通して情報を共有できるのが実に便利に感じました。
そして格安SIM(MVNO)の導入によって、月額の使用料が2000円前後に収まるようになったのも大変良かった。
iPhone(au) ⇒ Android(格安SIM)はかなり悩みましたが、結果的に英断だったと思っています。

そして、昨年MVNOサービスを展開するNTT系のOCNモバイルONEが定期的に実施する期間限定プライスに引っかかりまして、現在はシャープのAQUOS sense lite SH-M05(高機能&最新OSで9800円にて購入!、iPhoneのほぼ10分の1!!)を使っています。
個人的におサイフケータイのデビュー機種となりました。
政府の推し進めるキャッシュレス決済に乗っかる訳ではありませんが、実際使ってみるとおサイフケータイ便利ですね!
まだ使い始めて半年ほどですが、SH-M05に全く不満はありません。

日本のスマホ事情

日本のスマホシェアは常にiPhoneがトップで2016年にはおよそ7割を占めていましたが、遂に2018年Androidが逆転した模様です。
と言ってもiPhoneはApple単独でAndroidは複数のメーカーによるものですから、端末としての支持率は引き続き強力です。
ともかく、世界的に見ても日本のiPhone信仰は歪に感じます。

勿論iPhoneが現在のスマホの中でトップクラスのスペックを持っている事は疑いようがないのですが、メディアのあり方には問題があるように思います。
新型iPhoneが投入される度に報道されるお祭り騒ぎと、異常な判官びいき情報。
ジョブス時代のAppleファンである私からは、最近のiPhoneは当時の驚きや衝撃を覚えるほどのインパクトを持っているとは到底思えません。
なぜそこまで有難がるのか??

そして最近のiPhoneの価格上昇も異常です。
ジョブス時代のAppleで印象に残っているものに初代iMacがありますが、カラフルなデザイン、最新で強力なスペック、にも関わらず手の届きやすい価格帯。その後のiBookもそういうコンセプトでしたが、当時低迷していたApple復活への起爆剤になった商品だったと記憶しています。
つまり当時のApple&ジョブスは後のiPhone4sに至るまで、商品開発とマーケティングが奇跡な融合をしていたと思えます。
そこを踏まえて最近のiPhoneを見ると、低価格&コンパクトサイズに位置していたiPhoneSEを切り、大型化&高額化に突き進んでいるのですが、使いやすいサイズをコンセプトに掲げていた初代iPhoneのあの精神はどこに行ってしまったのか?

すみませんiPhoneへの愚痴が長くなってしまいましたが、これもApple愛の裏返しと受け取っていただけますと幸いです。

格安SIM(MVNO)はいいぞ!

さてさて私も利用している格安SIM(MVNO)ですが、昨年末時点でようやくシェアがDocomo、au、ソフトバンクなどの大手3社を相手に14%にまで拡大しました。
それだけ今の通信料に不満を抱いている方が多いという事なのでしょうね。
2015年以来利用している私ですが、通信速度含め不満は全くありません。北海道旅行でも使いましたが、結構な山奥でも普通に利用できました。
スマホの情報関連で良く性能比較とかがありますが、最近の端末やサービスにそれほどの差があるとは思えません。
また余程のヘビーユーザーでない限り、ほとんどその性能差を実感する事もないでしょう。
過不足なく使えれば十分なのです。

格安SIM(MVNO)拡大の足枷になっているのは、選択肢の多さと手続きの面倒くささでしょう。
格安SIMの提供元とスマホ(SIMフリー端末)を自分で選び、契約する。
慣れてしまえばなんて事はないのですが、一部を除いてほとんどがネットでの手続きになりますので、ショップに行って店員さんにお任せでスマホを購入されていた層には敷居を高く感じると思われます。
それでも、頑張れば最新機種のスマホ(ただしSIMフリー端末に限る)が大手3社の平均月額使用料の3分の1程度で利用出来るのです。
ご興味のある方は積極的にチャレンジしてみてください。

本記事を書きながら思い起こして見ると、スマホが世間一般になって約10年なんですね。
今後スマホや関連サービスがどう展開して行くのか、そもそもスマホという端末が10年後にも残っているのか?
個人的にも興味がつきません。

(WEB担当 大里)

2019年02月28日(木)

組織活性化のカギは「社員間の○○○向上」にある

今回は、鈴木がお送りします。

皆様、「成功循環モデル」をご存知でしょうか?
マサチューセッツ工科大学のダニエル・キム教授が提唱した、成功する組織開発の考え方です。

管理職の方であれば耳にされたこともあるのではないかと思います。
組織が成功するための要素を4つ定義し、その関係性の作り方と回し方で、社員がパフォーマンスを発揮し

成功するのか、不協和音を奏で上手くいかなくなるのかを説いています。

その4つの要素とは、「行動の質」「結果の質」「関係の質」「思考の質」です。

この4つのどれがスタートになって回り始めると良いのか、逆に悪いのかお分かりでしょうか?
■バッドサイクル
・成果・業績が上がらない(結果の質スタート)
・対立が生じ、押し付け、命令・指示が増える(関係の質)
・創造的思考がなくなる、受け身で聞くだけ(思考の質)
・自発的・積極的に行動しない(行動の質)
・さらに成果が上がらない(結果の質)
・関係がより悪化する、なすり合い、自己防衛(関係の質)

■グッドサイクル
・互いに尊重し、一緒に考える(関係の質スタート)
・気づきがあり、共有され、当事者意識を持つ(思考の質)
・自発的・積極的にチャレンジ・行動する(行動の質)
・成果が出てくる(結果の質)
・信頼関係が高まる(関係の質)
・もっと良いアイデアが生まれる(思考の質)
上記のように、バッドサイクルのスタートは「結果の質」になることです。
そこから始めることで、結果ありきの関係性が出来ていき、上司はその良し悪しで
評価や指示をするようになります。もちろん結果は大切ですが、部下やメンバーを
信頼できないところに、優れた結果はついてきません。

一方グッドサイクルでは、まず部下やメンバーとの関係性構築・向上ありきの
動き方になります。
対話してお互いを知り、信頼できるようになる環境を作っていくことが
スタートになれば、組織内に「心理的安全性」が生まれます。
結果として前を向くことができ、良い思考や結果につながるというわけです。

どちらのサイクルにしても、回り始めれば同じように見えてしまいます。
そのため、何が良くて何が悪いのかが見えにくくなってしまうのです。
是非今の組織内のコミュニケーションを確認してみてください。
バッドサイクルに陥っていませんか?
組織活性化のカギは「社員間の関係性向上」にあるのです。

2019年01月10日(木)

「個の自立」について考える

今回は橋本が担当させていただきます。
近年人生100年時代という言葉も聞くようになりましたが、長い人生を送ることになったことにより、多くの企業人にとって、セカンドキャリアを含めた「自分の人生、どう生きるか」が、一層重みを増していることは間違いありません。私自身も、自分のキャリアにおける“覚悟”を決めなければいけないことを痛感しております。また、企業も定年延長や再雇用、それに伴う就業規則や賃金規定の見直しなど、さまざまな施策を行わざるを得なくなっております。いずれにしても、先の読めない様々な変化の時代を乗り切るカギとなるのは、「個の自立」と言えることは過言ではないでしょう。
そこで、今回は、企業人がどのようなライフキャリアを描いていくかを考える際に、人生の多くの時間を過ごす「企業と個人の在り方はどうあるべきか」という原点に立ち返ってみたいと思います。

いささか旧聞になりますが、私見では、日本が世界的に評価されていた1980年代の後半頃から、いよいよ自己実現時代の到来という機運が高まって来るも、バブルがはじけるとともに、いつの間にか雲散霧消してしまった印象があります。当時、従来伝統的に不可分であった企業と個人の関係の見直しを促すとともに、社会と個人の新しい関係の樹立をも示唆しました。また、これからの日本および日本企業の変革を実現していくためにも、広く国民レベルで個人の自己革新が求められるとの観点から、その第一歩には、真の意味での「個の自立」が必要となってくると考えておりました。
この個人と企業との関係のあり方に注目し、「新しい個」の確立について、以前私が在籍しておりました富士ゼロックス総合教育研究所(FXLI)が、当時研究レポートを発表しましたが、ここではそのレポートからの引用を中心に紹介させていただきます。

「新しい個」の確立にむけて
これからの時代には、常に新しい価値を創造することのできる人材が必要であり、この能力の育成が個人にとっても企業にとっても、緊急であるとの認識を高めることが必要である。
その、新しい価値を創造していく人間とは、そのコアに「私はこう生きる」という哲学を持ち、そこからにじみ出る迫力があること。しかも『じぶんらしさ』が表現でき、多様な価値観を尊重し、市民感覚があることが大切で、これらを兼ね備えた「新しい個」の育成が急がれる。
FXLIの定義による「新しい個」の概念とは以下の四つである。
①多様な価値観や行動様式が存在することを理解しており、それらと対等にかかわりあうことができる。
②自分の個性をよく知っており、その個性について正しく解り易くまわりに説明できる。
③『自分はこう生きる』という生きる哲学や夢を持っており、その実現のために努力している。
④市民としての良識を持っており、社会に役立つことを実践している。

さらに、ここではFXLIが提唱した「自立人間の条件」を紹介いたします。同社では、「今まで、ありとあらゆる場面で『対決』を避けてきたから、今、不安が膨らんでしまっているということはないだろうか」と問いかけ、「自分と対決して生きることのできる人間」の条件を次のようにあげています。

①自己の意見・主張を持つ
どんな人生を選ぶにしても、自分が主体的に参画して決めたものでなければ、本当の満足感は得られない。

②自己の意見・行動に責任を持つ
自分の人生のすべては自分の責任に帰するものだ。人間はとかくまわりに責任を転嫁したくなるが、転嫁したからといって状況が好転するわけではない。これに対決していくのは、早いほどよいといわれている。

③先見性・自発性・計画性がある
人生には目標のあることが大切である。めざす目標があるこそ、毎日の生活にハリがある。先を見ること、そして計画を立てることが大切。それらを実現するのは、自分の自発性しかない。

④自己と周囲(対人関係、状況)とのギャップに気づくことができる
状況不適応や対人関係のトラブルは、自分と相手との状況に対する認識のズレに気づかないことから始まる。

⑤周囲に対して共感性を持って行動することができる
自己と周囲の関係性を明かにしたうえで、それぞれの持ち味を活かしながら新たな価値創造が出来るような思考、行動につなげる。

ここで提示している五つの条件は、実に30年近く前に提唱されたものですが、立場や条件を超え、そして時代を超え、変化の激しい現代にも通じる指針として「自立人間をめざす」ための重要な示唆となるのではないでしょうか。

おまけ 今月の1枚

機会があって、小京都とも呼ばれる山口市にある瑠璃光寺に行ってきました。ここの国宝五重塔は、プロポーションの美しさから、奈良・法隆寺、京都・醍醐寺の塔と並んで、日本三名塔と呼ばれております。心地良い青空も幸いし、晩秋の日本庭園の中に佇むその秀麗な姿に、時が経つのも忘れて見とれてしまいました。(10月撮影)

2018年11月30日(金)

自動車、運転してますか?

先月、復興名目で北海道に遊びに行ってきましたWeb担当大里です。

■北海道の走り方
北海道のような広大な場所で遊ぶのであれば、レンタカーは必須です。
しかし、その土地毎で走り方の癖のようなものもあるようですが、とにかく北海道のドライバーは運転マナーが悪い!
一般道なのに高速並みのスピードで走るし、煽ってくるし、ウインカー出さずに追い抜くしで、巻き込まれて事故るんじゃないかと冷や冷やする場面が結構ありました。
で、その話を北海道在住の友人に話したところ、「事故を起こすのは主に内地(北海道外は内地と言う)の人間だろー」と言う。
少し気になって調べてみたところ、どうも北海道人の共通認識としてそういう考え方が根付いているようなんです。
旅行者の起こした事故の報道が強く記憶に残るからなのでしょうが、実際にはそういった数字的な根拠はないようです。
「事故を起こすのは内地の人間」だから自分達は問題無い。としたいのでしょうね、かなり危うい論法かと思いますが。
道路交通法にローカルルールなんて無いのですから、そこは間違いのない運転を心掛けたいですね。

■ハイビーム!
運転される方であれば、夜間のライトにハイビームとロービームがあるのは分かりますよね?
つい最近になってニュースで知ったのですが、公的にはハイビームメインでの夜間走行が奨励されているんですね。
まあ確かにハイビームの方が遠距離を確認できるので安全だと言う理屈は分かるのですが、対向車として見ると眩しくて逆に事故を起こしてしまいそうです。
ただまあ、対向車のほとんど来ない田舎道とか、明らかにハイビームにすべき場所でもロービームのまま走る方も多いような気はします。そもそも切り替えるという思考が無くなっているドライバーは意外に多いかもしれません。
たまにハイビームで走っている車が居ると、ローに戻し忘れているのかな?と思ってましたが、意図的にハイビームで走っていたのかもしれませんね。
しかし、私もたまたま知った位なので、もっと大掛かりで且つ一斉に切り替えるような方法でないと、なかなか浸透しないでしょうね。

■ドラレコ
うちの車も結構前からドライブレコーダー、通称ドラレコを設置しています。
設置した後は基本放置なのですが、たまーに記録を見てみると思った以上に高画質に録画されていて、ちょっと楽しいものです。
最近は設置した車の事故記録目的以外にも様々な事件、事故の貴重な証拠となったり珍しい自然現象の記録(ロシアの隕石が落下する動画が有名)など、防犯カメラ的なポジションにもなっているようです。
先日そのドラレコが壊れまして、急いでAmazonして交換したのですが、再設置するまでの数日間は運転時に落ち着かないというか、少し不安な気持ちになりました。(スマホ忘れて出かけたみたいな感じですか)今まで無くてもなんともなかったのに、一度ドラレコを設置した場合の安心感は意外に高いのだなあと、無くなって気が付きました。
きっと今後は標準設置になるのでしょうね。

■新ジムニー
ジムニーが新しくなりました。なんか一年待ちとかの大人気のようですね。
というかジムニーは世界中にファンがいる希少な国産車です。
まあ、ある車種が特別に人気が出るというのは良くある話ですが、今回のジムニー人気はちょっと面白い。
スズキは以前にもワゴンRやハスラーなど大手には無い切り口で大ヒット車を送り出しているのですが、ジムニーの面白い所は、燃費が良くないところです。いやはっきり言って悪いです。
車のセールスポイントで燃費はかなり大きなファクターだと思うのですが、それよりもジムニーの走りを優先させたという男気溢れる決断は、さすがスズキと言わざる負えません。
いろいろな業界でデータ詐称問題が発生したという背景もあったかもしれません。実際某メーカーで燃費表記を詐称して大事件になりました。
だからこそ、正直に包み隠さず「燃費悪いっす!でも他はがんばったっす!!」という姿勢が逆に信頼感を醸しているとも感じます。
全部がこのやり方に当てはまるとは思いませんが、低燃費、低燃費と呪文のように唱える業界で、ちょっと面白いニュースでした。

2018年10月31日(水)
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人間は考える葦である

今回は、鈴木がお送りします。

「人間は考える葦である」

これはブレーズ・パスカルの有名な言葉だ。
AIが人間の仕事の50%を奪うとされている中、「考えること」の重要性が
改めて説かれている。
教育の世界でも、平成32年には、学習指導要領も新しくなり「アクティブラーニング」を用いることが盛り込まれる。
考える教育がようやく重視される。

日経新聞に「AI、データ不足6割」という記事の掲載があった。

AI活用にあたり、主要企業の6割がmデータ不足や集めたデータの形式がそろわず使えないなどの不都合で、活用できていないという課題をもっているようだ。

理論上は、作業レベルの仕事や、判断基準が明確な仕事についてはAIにとって代わられることは想像に難くないし、いずれはそうなるだろう。

しかし、実生活に浸透するにはまだまだ課題が多いようだ。

そこで「考える葦である」人間は、しっかりと思考することだ。
どうしたら来るべき人工知能に支配されずに、世の中に価値を提供し続けられるかを。

仕組みを作る一方で、自分達の仕事の領域を確保することが、いずれの企業も急務なのではないだろうか。

幸い人間は、あまの不可能と言われたことを可能にしてきた。
これからは、個々人でそれを考えていくべきだろう。

自分の身は自分で守る。

われわれ人間は無限に思考ができる人間なのだ。

2018年09月30日(日)

ブックレビュー:池内了著「科学者と戦争」を読んで

今月の担当は橋本です。今回はブックレビューの2回目として、「科学者と戦争」(岩波新書1611 2016年6月21日初版)について、取り上げようと思います。
8月は故郷に思いを馳せたお盆の季節であるとともに、既に73年目を迎えた大戦終了の日を機に、平和を考える時とも言えます。今回は、この時期に、現在の日本において、防衛省・自衛隊と大学・研究機関との間の共同研究(=軍学共同)が急進展しつつある実情について、科学者として警鐘を鳴らしている重いテーマの本書を、あえて紹介させていただきます。

私が本書に関心を持ったのは、著者の名前は私の好きな天文学の研究者として存じあげておりましたが、本書が出版された直後に、著者の「天文学者が語る憲法」という講演を聞く機会があり、科学者として平和活動に取り組んでいることを知ったのがきっかけでした。

著者の池内了氏は、もともと理学博士(物理学)、天文学者、宇宙物理学者で、国立天文台教授、名古屋大学大学院教授、早稲田大学特任教授などを歴任、現在は総合研究大学院名誉教授。「世界平和アピール七人委員会」の委員でもあり、「九条科学者の会」の呼びかけ人も務めております。(1944年生まれ、京都大学理学部物理学科卒業、同大学大学院理学研究科、物理学専攻博士課程修了。)

日本は、第2次世界大戦後ごく最近まで、公然たる軍学共同は行われてこなかったですが、これは「日本の科学者が日本国憲法の精神を受け継ぎ、平和のための科学に徹し、軍事研究を拒否してきたからであり、世界的に極めて異例」であったと記しています。しかし、2015年に創設された、大学、研究機関、企業の研究者向けの資金供与の制度である「安全保障技術研究推進制度」などの実施によって、日本の科学研究の軍学共同路線が本格的に推進されつつある、と本書では述べております。

池内氏は、本年6月にも、「世界平和アピール七人委員会」として、世界とアジアの緊張緩和に背を向けている現政権の退陣を求める声明を出していますが、その背景の一つの論拠を示しているのが本書でもあり、そういう意味でも貴重な問題提起をしていると言えます。

■本書の概要(各章の紹介と本文より一部抜粋)
はじめに―軍学共同が急進展する日本
ここでは、本書を執筆した目的と各章ごとの概要について記している。「政治の保守化・軍事化と軌を一にして軍学共同が急進展する日本の現状をレポートしたもの」で、「さらに多くの方々に向けて、進みつつある軍学共同の実態を知らせるとともに、このような動きに警鐘を鳴らすことを目的として執筆した」と記している。

第1章 科学者はなぜ軍事研究に従うのか
科学者が軍事研究に従ってきた歴史をたどり、日本の戦前・戦時中の科学者が戦争協力に動員されていった経緯を振り返るとともに、ナチス・ドイツ時代の3名の著名な物理学者の、科学と政治に対する三者三様の生き方を紹介している。
「1938年、政府が国内のすべての人的・物的資源を統制運用できることを定めた国家総動員法が施行され、1940年には科学動員実施計画綱領が閣議決定された。(中略)文部省が新設した科学研究費交付金は、基礎研究のためということになっていたが、やがて戦争への動員のために使われるようになっていった。」(p22)

第2章 科学者の戦争放棄のその後
戦後における日本の科学者の平和路線とその揺らぎを見て、現在進行しつつある空(宇宙)と海(海洋)の軍事化路線を検証し、軍学共同への防衛省の戦略を読み解いている。
「科学技術基本計画は、1年間にGDPの1%、1期5年間で20数兆円もの科学技術振興経費を扱い、日本の科学技術政策に大きな影響を与える。2016年1月に閣議決定された第5期の同計画には、「国家安全保障上の諸課題への対応」が書き込まれた。今後科学の軍事化がいっそう加速されると予想される。」(p106)

第3章 デュアルユース問題を考える
軍学共同の口実あるいは積極的理由として使われているデュアルユース(両義性)について論じ、さらに、研究者を対象としたアンケート結果から、軍学共同に関する彼らの意識について考察している。
「積極的に軍事研究を行なおうと考える研究者を除いて、一般の研究者は民生のための基礎研究を行っているという意識が強い。しかし、手を加えれば軍事利用できる研究は数多くあり、そこに境界線を入れることは事実上不可能である。そのため、「軍事利用の危険性がある」というだけで研究を禁止できないのは確かである。(中略)問題となるのは軍から研究資金を供与される場合で、私はそのような研究は、いかに基礎研究に見えようと、将来必ず軍学共同につながるので行うべきではないと考えている。軍が興味を持つということは、すでに軍事利用に一歩踏み出しているのだから、デュアルユースではないことは明らかである。」(p115~117)

第4章 軍事化した科学の末路
世界各国で軍学共同研究が行われ、世界中で50万人を超す研究者が何らかの形で直接軍事研究に携わっているという見積りがあるが、原爆開発のマンハッタン計画を主導したオッペンハイマーをはじめとした、軍事研究にはまり込んだ科学者を待つ悲惨な結末について述べている。
「言葉の厳密な意味で、軍事研究が科学を発展させることはないことを言っておきたい。科学とは、さまざまな自然現象を支配している原理や法則を明らかにするための営みである。その原理や法則は、研究対象とする物体や減少に適用できるだけでなく、より幅広い対象にも適用できる普遍性がなければいけない。(中略)軍事研究で行われるのは、戦争に使われる軍事技術の開発である。科学で得られた知見を具体的技術に適用し、戦争を遂行するために役立つもろもろの装備や兵器などを製作したり改良したりする。つまり、軍事研究が発展させるのは、(科学ではなく)技術であることをまず強調しておきたい。」(p175)

おわりに―「人格なき科学」に陥らないために
現在の日本の状況を、一気に軍国主義化していったナチス・ドイツと同じ道をたどるのではないかと警鐘を鳴らし、日本がもしアメリカと同調して軍事力を全面的に展開するような国家となったら、日本の科学者の間にも、ナチス・ドイツ時代と共通する心情がいっそう広がるのではないかとの見方を示し、強く批判している。
「第五期科学技術基本計画に『国家安全保障上の諸課題への対応』という項目が書き入れられたように、国全体として安全保障に名を借りた軍事優先の方向に走り出しているのは確実だろう。これが日本の科学技術の要となり、そのために科学者・技術者を総動員する体制が今後敷かれていくのではないだろうか。産学共同で商業主義に、そして軍学共同で軍事化路線に占領され、「人格なき科学」に陥っていくのではないかと強く危惧している。」(p186)

■読後感想と視点
【全体所感】
私の読後の所感を一言で記すと、筆者の「科学と軍事は、もう取り返すことのできないところまで密接して来てしまっているという強い危機感と、それでも一人の人間として、科学者の良心や志を信じていたい、そして少しでも日本の軍事化を止めるための力になりたいという、切なる想い。」という感じでしょうか。
そして、私はページを進めるにつれて、正直なところ絶望感が深くなるばかりでした。著者は、あとがきの冒頭で、「本書は、いま日本において、急進展しつつある軍(防衛省・自衛隊)と学(大学・研究機関)との間の共同研究(=軍学共同)の実態を描き、今後予想される展開に対して警告を発するために書いたものである。」(p197)と、再度本書の目的を記載しております。
これは、見方を変えれば、科学者としての視点から「軍学共同」というテーマに絞って、その関連する問題点について記述していますので、その警告には限度があるということでもあると考えられます。具体的には、例えば既に経済の根幹にしっかり組み込まれている国防産業(軍需産業)そのものについて直接的に取り上げているわけではありませんので、「今そこにある危機」は、本書でカバーしているレベルを大きく超えている規模となっていることは容易に想像されます。また、ITの加速度的な高性能化により、国家間も民間事業も軍事的にも、単独には判断も行動もできない運命共同体的な構造が築きあげられているということにも、ほとんど触れておりません。従いまして、既に政治や経済のレベルで何とかなるという範囲を既に遥かに超えていることを認めざるを得ないのではないか、という意味で絶望感が深くなると記した次第です。
人類は、既に瞬時にして大量の血を流し、その存続を危うくする規模での破壊力を持つ技術を創りあげてしまいました。その現実を直視しながらも、これから先の持続的発展を担保するために、強い意志と想像力を働かせて何とか歯止めをかけていくこと、すなわち実力行使を想像する先には人間がいることを模索していかなければならないと痛感しております。「血を流す創造力から、血の通った想像力へ」という言葉が思い浮かびました。さらに加えて、科学の影響の大きな分野として、情報化、地球環境、生態系破壊、遺伝子操作、資源・エネルギー(とりわけ原子力発電)などの、本書の範疇を超えた人類生存規模での諸問題はまだまだあり、科学との平和的共存が本当に必要不可欠であることを改めて気づかされました。
筆者は、「おわりに」のタイトルを、「『人格なき科学』に陥らないために」と掲げ、本文を締めくくっております。そこでは、「科学による破滅を避けるために」「社会に責任を持つ科学者」など、繰り返し科学者に倫理的行動をとるように訴えており、また自身も抗議行動などの働きかけを実際に行っております。私は、既に決して若くない筆者の使命感あふれる行動に最大限の敬意を表しながらも、その成果がどれほどの結実を見ることができるのかの可能性を考えると、やはり深い絶望を感じざるを得ないのが実感です。

【視点1】やはりカギを握るのは政治の品質+官僚の力なのか?
本書で記載しているように、産業革命以降は、欧米諸国を中心に、国力を高めるために科学・技術が軍事と結びつき、経済規模の拡大と共に更なる国力の源となったことから、軍拡競争がエスカレートし、二度に渡る世界規模の戦争を招くという人類にとっての大きな悲劇につながってしまいました。そんな中で日本は壊滅的な国家状況から、驚異ともいえる経済成長を遂げながらも、敗戦から学び、国家が日本国憲法の平和主義の精神も上手く使いながら、軍事面では一定の歯止めをかけてきました。
しかし現在は、国家主導(アメリカ主導)で国防産業への後押しもあり、実質的な軍事力の増強が図られており、本書でも再三指摘しているように、大学や研究機関への巧妙な働きかけが、「科学者の良心」という踏み絵をも許されないような状況を、既成事実化しようとしています。この点については、日米同盟のあり方や昨今の東アジア情勢などの国際環境の変化への対抗上から、また経済力をキープしていくためには原発の再稼働や輸出、国防産業への更なるシフトも推進する、といった「現実的には止むを得ない」といった考え方は確かにあると思います。
しかし、私はそのような考えは良しとしません。なぜなら、そのような「現実主義」を掲げた場合は、「だから仕方がない」という思考停止に陥ってしまい、仮にこのままの状態が続いた場合は、地球規模での破滅がむしろ現実になってしまうことが危惧されるためです。
と、こうして世界的視野から近代の歴史を俯瞰してみた場合、結局科学は、どれほど先鋭的になって、また潜在的な破壊力を強くすることができたとしても、国家を動かす政治(および特に日本の場合は、その政治の意向に忖度してしまう官僚)の強大な存在の前では、その持つ力には限界があるということにならざるを得ないのでしょうか?

【視点2】科学における両義性の持つ本音と建前は、止むを得ないのだろうか?
筆者が本書において、とりわけ力点を置いているテーマは、両義性(デュアルユース)といえ、このテーマだけで1つの章(第3章)を設けており、さらに、あとがきにおいて、以下のようにまとめています。
「いかなる科学・技術の成果も平和目的(民生利用)のためにも戦争目的(軍事利用)のためにも両義的(デュアル)に使われ、研究段階においてはその区別はつかない。従って、軍事に適用できるからといって基礎研究段階で禁止することはできない。できた段階で利用法を考えるのは軍であり、自分には関係しない。また、将来、民生利用されて人々の役に立つかもしれないのだから、開発そのものは止めるべきではない」(p199)
そして、一般の研究者は民生のための基礎研究を行っているという意識が強いが、手を加えれば軍事利用できる研究は数多くあり、そこに境界線を入れることは事実上不可能と断言しております。また、巨額の研究予算を捻出するためには、軍事目的そのもの、ないしは軍事目的に転用することを可とする場合に有利であることや、軍事技術の開発は「安全・安心のための」民生技術の開発であり、それはデュアルではなく「モノユース」であるという考えも出てきていることを紹介しております。そして、デュアルユースを口実にした軍事研究への進出は、「軍事研究を行わない」という宣言をする以外には、防ぎようがないとの考えです。
さらには、「科学者は自分が発見した事柄が先々どのように使われるかを想像し、その結果を直視しなければならず、何らかの悲劇が起こると推測できたときは行動を起こさなければならない。それが面倒というのなら、人間としての資格はないといわざるを得ない。」とまで言い切っております。(p152より抜粋)
このような筆者の主張するところは痛いほど分かるのですが、コンピューター、インターネット、カーナビ、電子レンジなどが、もともと軍事技術として開発されたにもかかわらず、これだけ民生に転用されて大成功した製品が多く、それらの結果、多大な利便性を享受しているという現実があります。更には、いわゆる軍需産業ではなくとも、「自動車、船舶、航空機、エレクトロニクス、IT、人工知能、ナノテクノロジー、繊維など、多くの分野の企業で、多くの研究者が軍事用品への応用研究や開発を行っている」(p154)ことにも触れております。
これらの現実の意味することは、我々が経済活動の恩恵を受け、日々の生活を過ごしている実状で、軍事研究に関連する事項を排除していくことは、やはり不可能と言わざるを得ない、ということでしょうか?

■視点3:「核」の平和利用と軍事利用について―ヒロシマ・フクシマから何を学んだのか?
私は、本書のタイトルを拝見した時に、直ぐに原子爆弾の開発にかかわった科学者たちのことを連想いたしました。本書では触れられておりませんが、原爆開発計画を目的として第二次世界大戦中にアメリカが極秘にスタートさせた「マンハッタン計画」では、延べ約5万人にものぼる科学者・技術者を使い、総計約20億ドルの資金が投入され、現在のアメリカの「軍産官学複合体」を生み出す大きなきっかけとなったともいわれております。このプロジェクトに参加した科学者たちの倫理観については私は把握できておりませんが、科学者の立場でプロジェクトを主導したオッペンハイマーは、日本への原爆投下に反対した科学者を巧みに排除していったといわれております。しかし、戦後は核開発、特に水爆開発に反対するようになり、国家エリートの地位から追放され、結局は国家に翻弄された科学者の象徴のような例となってしまいました。
そして、現在進行形の問題として、福島第一原発の事故後、原子力発電政策を継続するか否かについては、反対する科学者(加えて憲法学者などの専門家も)の声が、結局は決定への影響力を発揮することができないのが実状です。その背景としては、日本は日米同盟を基に、核武装は差し控えるが核武装のための技術的・産業的な潜在力を保持する方針をとり、それを日本の安全保障政策の主要な一環とする(原発潜在的核抑止論)という考えが根強く、その方針を政府が強力に保持しているためと考えられます。
日本は原子爆弾を投下され、原子力発電で大きな事故を起こした唯一の国という事実があります。核の平和利用と軍事利用の「デュアルユース」については、本書が直接的に記載しているテーマではありませんが、科学者のみならず、国民全員の問題として、真剣に考えてみる必要性を痛感しております。

【今月の1枚】
8月初旬に、家族で瀬戸内のアートな島めぐりをした時の1枚です。
直島→豊島→犬島と周り、こちらは、犬島の「精錬所美術館」です。
抜けるような真夏の青空の下、廃工場を舞台に斬新な問いかけがあり、
強くこころに残る体験をしました。(8月撮影)

2018年08月31日(金)