ハロウィーンに似た祭は日本にもあった

初めてスタッフブログを担当する松本です。
自分は、かつて日本で暮らしていた人々の生活文化に興味を持っています。
今回は日本の文化に関する事柄について、書かせていただきます。

このブログを執筆しているのは10月下旬です。
近年、この時期は街の店などでハロウィーンのお菓子などが売り出されています。
10年程前は、現在よりハロウィーンは流行ってはいませんでした。
バレンタインデー、ホワイトデーのように商業的に効果があるのは分かるのですが、個人的にはまだ違和感があります。
日本では昔から秋には、収穫祭などの祭が行われていました。
また、ハロウィーンのように各家をまわってお菓子を貰う風習は日本にもありますが、外国からきた文化であるハロウィーンの方が商業的に盛り上がっています。

鹿児島県・徳之島のある地域では、毎年秋に「モチタボレ(餅たぼれ)」という、子どもが各家をまわり、お菓子を貰うという風習があります。
「モチ」は餅、「タボレ」は頂戴という意味だそうです。
おそらく、かつては餅を貰っていたと思われます。
私は約20年前、10月下旬~11月初旬に徳之島に行く機会がありました。
その際「モチタボレ」を初めて知り、地元の中学生と共に各家をまわらせていただきました(当時は私も中学生です)。
まわる時間帯は夜で、家に行くと家の方は子どもが来ると分かっているようで、予め袋に詰めていたお貸しをくれました。
夜に行われるという点も、ハロウィーンと同様ですね。
何軒もの家をまわり、足が疲れてしまったのを覚えています。
今、思うと、とても貴重な経験をさせていただきました。

ハロウィーンの風習は、まだ日本で流行り始めたばかりです。
そのうち日本に合わせた様式に変わっていくのではないかと思われます。
ハロウィーンのカボチャは怖いものとして日本に入ってきたはずですが、近年、可愛い顔のカボチャを街で見かけるようになりました。
沖縄のシーサーにも同様のことが言えます。
魔除けとして家の屋根に存在している沖縄のシーサーは本来怖い顔をしていますが、お土産のシーサーは可愛く笑っているものもあります。

昔から日本で暮らす人々は外国からきた文化をそのまま受け入れるのではなく、自分たちの生活様式に合わせて変化させてきました。
例えば、中国からきたウーロン茶を冷やしたアイスウーロン茶は、中国では見かけないようです。
その他には、たらこスパゲティ、カレーパンなどを挙げることができます。
ハロウィーンが今後どのような祭に変化していくか、見ていきたいと思います。

2017年10月31日(火)

人間は一日に何回「選択」をするか?

今回は、鈴木がお送りします。
 
 私たちは、普段から色んな選択、意思決定をしています。
 仕事をしていれば、「この案件を進めるか?、止めるか?」や
 「どちらの施策を取れば、より業務効率化が図れるか?」
 「どっちの仕事を先にやろうか」などの選択の場があります。
 それらの選択は、意識をして行っています。
 そう考えると、一日の選択の回数は、そんなに多くないのでは?と
 考えられます。

 しかししかし!
 実は人間は、一日「60,000回」もの選択をしているとのこと。
 
 信じられます?その数字!!
 これは、無意識の選択も含むということです。
 つまり、朝起きるときからそれはカウントされます。

   目覚まし時計が鳴る ⇒ 止める ⇒ 起きる or 二度寝する
 
 どうでしょう?これも選択ですよね?
 着ていく服、持って出る物、鞄を持つ手はどちらか、傘を持つかどうか、などなど。
 選択は常に目の前で繰り返されています。
 しかもそのほとんどが無意識のもの。

 よく、「習慣を変えれば行動が変わる」と言いますが、なかなか習慣を変えるのは
 困難だと考えます。

 実はそんなときにやるべきこと。
 「選択を変えると習慣はおのずと変わってくる」
 なんです。

 無意識に選んでいる事を、立ち止まって考えてみる。
 無意識なので、そこを意識するところに困難が伴うかも知れませんが・・・。 

   目覚まし時計が鳴る ⇒ 止める ⇒ 必ず起きる 

 という選択をすることで何が変わりますか?

 選択結果が変れば、習慣が変ってくる気がします。
 そうなれば、きっと望む変化も可能になってくるのではないでしょうか?

 無意識の選択に意識を向け、「選ぶこと」をしっかりと捉えることで、
 向かいたい方向に歩を進めましょう

2017年10月04日(水)

ブックレビュー:広井良典著「ポスト資本主義-科学・人間・社会の未来-」を読んで

今回は橋本が担当しますが、初めてブックレビューを試みてみます。
私は、出身大学のゼミの卒業生有志による勉強会のメンバーで、年に数回の会合を持ち、歴史や政治を主なテーマとして、ブックレビューや独自の研究成果などの発表とディスカッションをしております。本書は私が勉強会で取り上げましたが、資本主義の歩みと現状および未来への考察が主たるテーマということもありますので、今回再度見直して、紹介させていただくことにしました。取り上げる書籍は、広井良典著「ポスト資本主義-科学・人間・社会の未来-」(岩波新書1550、 2015年6月19日初版)です。

著者の広井良典氏は、1961年岡山県生まれ、東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科修士課程修了、専攻は公共政策、科学哲学。厚生省勤務を経て、東京大学先端科学技術研究センター客員教授、千葉大学法経学部教授を経て、現在千葉大学法政経学部客員教授、京都大学こころの未来研究センター教授。社会保障、環境、地域、医療等に関する政策研究を軸に、コミュニティ、ケア、死生観等についての哲学的考察に至るまで、幅広い分野での活動を行っており、環境・福祉・経済を統合した「定常型社会=持続可能な福祉社会」を提唱しております。

本書の内容は、資本主義の進化と限界、未来への可能性を軸にしたテーマではありますが、科学・情報・生命・福祉社会・福祉国家に至るまで、論考を広げておりますので、なかなか全体像が捉えにくいのですが、カバー裏の文章で要点がまとめられていますので、以下引用してみます。
「富の偏在、環境・資源の限界など、なおいっそう深刻化する課題に、『成長』は解答たりうるか。近代科学とも通底する人間観・生命観にまで遡りつつ、人類史的なスケールで資本主義の歩みと現在を吟味。定常化時代に求められる新たな価値とともに、資本主義・社会主義・エコロジーが交差する先にあらわれる社会像を、鮮明に描く。」

■本書の章構成と記述からの抜粋
はじめに―「ポスト・ヒューマン」と電脳資本主義
⇒近代科学と資本主義は、限りない「拡大・成長」の追求という点において共通しており、その限りで両輪の関係にあるが、そうした方向の追求が必ずしも人間の幸せや精神的充足をもたらさないことを、人々がより強く感じ始めているのが、現在の状況ではないか。(ⅳ)
⇒日本は、そのような成熟社会の新たな豊かな形こそを先導していくポジションにあるのではないか。(ⅴ)

序章 人類史における拡大・成長と定常化-ポスト資本主義をめぐる座標軸
⇒人類の歴史を大きく俯瞰すると、人口や経済規模の「拡大・成長」と「定常化」の時代が交代する3回のサイクルでとらえることができ、第3のサイクルの全体が、(近代)資本主義/ポスト資本主義の展開と重なる=本書の基本的な問題意識(P1、6 )
⇒それでは、第4の拡大・成長はあるか?候補としては人工光合成、宇宙開発ないしは地球脱出、ポスト・ヒューマンの3つ、しかしこれらの方向性については懐疑的。それは現在の世界に生じている様々な矛盾を放置した性格のものであるため、個人の生活保障と、環境保全が経済とも両立しながら実現されていくような社会像であるという認識と重なる。(P11、13)

第Ⅰ部 資本主義の進化
第1章 資本主義の意味
⇒歴史家ブローデルの主張:「資本主義」と「市場経済」を明確に区別した。(P24)
資本主義=「市場経済プラス(限りない)拡大・成長」を志向するシステム。(P28)
⇒「第3の拡大・成長」と重なる(近代)資本主義と呼ぶものの実質。その2つの次元の関係。(P36)
「個人-社会」の関係…個人が共同体の拘束を離れて自由に経済活動を行うことができ、かつそうした個人の活動が社会全体の利益になるという論理:【個人の独立】
「人間-自然」の関係…人間は(産業)技術を通じて自然をいくらでも開発することができ、かつそこから大きな利益を引き出すことができるという論理:【自然支配】
第2章 科学と資本主義
⇒資本主義と近代科学は、いずれも「共同体から独立した個人」および「自然支配(自然と人間の切断)という、共通の世界観や志向から派生した営み。(P40)
⇒近代科学をめぐる三つのステップ(P43)
(1)17世紀「科学革命」:物質(と力)
(2)19世紀「科学の制度化」:物質/エネルギー
(3)20世紀半ば~「経済成長のための科学」という枠組みの成立:エネルギー/情報
21世紀初頭~ポスト資本主義または超(スーパー)資本主義(~ポスト・ヒューマン)
第3章 電脳資本主義と超(スーパー)資本主義VSポスト資本主義
⇒今という時代は「情報文明の成熟化ないし飽和」あるいは「ポスト情報化」ともいうべき局面への移行期と考えるべき、今後の時代の方向として、“IT革命とグローバル化”といったことを過度に強調するのはミスリーディングというべきだろう。(P66)
⇒ひとつのありうるビジョンとして、市場経済を無限に“離陸”させていく方向ではなく、根底にある「コミュニティ」や「自然」という土台にもう一度つなぎ“着陸”させていくべき。(P77)

第Ⅱ部 科学・情報・生命
第4章 社会的関係性
⇒近年の諸科学において、人間の利他性や協調行動等が協調されるようになっているのは、そのような方向性に行動や価値の力点を変容させていかなければ人間の存続が危ういという状況に、現在の経済社会がなりつつあることの反映とも言え、それはポスト資本主義、あるいは「拡大・成長から定常への移行」という時代状況とも呼応しており、時代状況に適応した科学や知、価値原理が求められている。(P99)
第5章 自然の内発性
⇒世界の理解に関する4つの立場-非生命-生命-人間」の境界をめぐって(P104)A=すべて機械論的、B=人間以外/人間で境界、C=非生命/生命で境界、D=すべて連続的
⇒ニュートン以降の近代科学の歩みは、近代科学成立時の機械論的自然観がいったん捨て去ったアニミズム的要素―“生ける自然”あるいは自然の内発性―を、世界の内部に新たな形で取り戻していった流れと把握することもできる。(P122)

第Ⅲ部 緑の福祉国家/持続可能な福祉社会
第6章 資本主義の現在
⇒“過剰”という富の精算の「総量」の問題と、“貧困”や“格差”という、富の「分配」の問題の双方が、互いに絡み合う形で存在しているが、求められる対応の重要な柱は2つ。(P135)
(1) 過剰の抑制―富の総量に対して
(2) 再分配の強化・再編―富の分配に関して
⇒資源の有限性が顕在化し、かつ生産過剰が貴重となって失業が慢性化する成熟・定常期においては、人々の関心はサービスや人との関係性(あるいは「ケア」に次第にシフトし、人が中心の「労働集約的」な領域が経済の前面に出るようになるだろう。そうした構造変化に応じて生産性の概念を再考し、転換していく必要がある。(P147)
第7章 資本主義の社会化またはソーシャルな資本主義
⇒資本主義の「修正」の中身は、政府ないし公的部門による市場への介入の拡大であるから、それは換言すれば、資本主義はそのシステムを順次“社会化”してきた―あるいはシステムの中に“社会主義的な要素”を導入してきた―ステップでもあった。(P156)
⇒資本主義の進化の今後の展望(P157)
(1)「人生前半の社会保障」等を通じた、人生における“共通のスタートライン”ないし「機会の平等」保証の強化
(2)「ストックの社会保障」あるいは資産の再分配(土地・住宅、金融失算等)
(3)コミュニティというセーフティネットの再活性化
第8章 コミュニティ経済
⇒社会構造において本質的な意味を持つ「コミュニティ」と「ローカル」という2つのテーマ、ないしは視点としての、「公―共―私」と「ローカル―ナショナル―グローバル」の関係性。(P 177~179)
「共」的原理(互酬性)~コミュニティ→ローカル
「公」的原理(再分配)~政府→ナショナル
「私」的原理(市場)~→グローバル
⇒「緑の福祉国家指標(または持続可能な福祉社会指標、環境福祉指標)」による試み。(P210)
通常は一緒に論じられることの少ない「福祉」と「環境」を総合的にとらえる時、興味深いことに、両者の間には一定の相関がある。(P211)
「緑の福祉国家/持続可能な福祉社会」は、“人口減少社会のフロントランナー”としての日本社会が、真の豊かさのかたちとして実現していくべき社会像としても位置付けられるのである。(P215)
終章  地球倫理の可能性
⇒自然科学に象徴される近代科学的なアプローチと、いわば「民俗学的・歴史学的アプローチ」とも呼びうるような、歴史性や風土、宗教や自然信仰、文化やコミュニティ等に着目したアプローチの両者を大きな視野で統合していくような、新たな「科学」ないしは知のあり方ではないだろうか。(P227)
⇒地球倫理の視点からは、「自然信仰/自然のスピリチュアリティ」は、むしろあらゆる宗教や進行の根源にあるものであり―アインシュタインが「宇宙的宗教感情」と呼んだものと通底するかもしれない―、普遍宗教を含む様々な宗教における異なる「神(神々)」や進行の姿は、そうした根底にあるものを異なる形で表現したものと考えるからである。(P241)

あとがき
⇒本書は「ポスト資本主義」をテーマとするものだが、一方でそれは、私自身のこれまでの探求のテーマの柱の一つだった「定常型社会」論―そこでの「分配」のあり方を含む―と深く関わり、他方で科学論(ないし生命論)的な関心を全面に出した内容となっている。(P259)

■読後感想と視点(ご意見をいただきたいところ)
本書で提言していることは、成長を前提とした資本主義は明らかに行き詰まりを見せており、今後は「定常社会」に象徴される“ポスト資本主義”と呼ぶべき仕組みに大きくベクトルを変え、変革していく必要があるというもので、その目指すところは抵抗感が少なく、受け入れ易い(換言すると、強い特徴を持った主張ではない)との感触を持ちました。
資本主義をメインテーマとして、その発生から現在に至るまでの功罪を振り返りながらも、科学、社会学、経済、宗教、そして人間学などといった多岐にわたる分野からのアプローチをしており、これからの社会のあり方までを提唱していることが印象的で、幅広い分野と長大な時間軸に思いを馳せ、洞察していくことの意味について深く考えさせられました。
私見では、本書を貫く(あるいは通底する)、「もう本気で総力を挙げて取り組んでいかないと、決定的に取り返しのつかないことになるかもしれない」という、研究者の立場を超えた滲み出る苦悩と、何とかしなければいけないという使命感を強く感じ、とても心動かされました、というのが率直な感想です。

【視点1】専門性とジャンルを超えた考察はどこまでをカバーするのが妥当なのか?
本書は、タイトルにあるように、“資本主義”のその後は?を問うものであり、メインテーマはあくまでも資本主義である。併せて、サブタイトルにあるように、“科学・人間・社会”の未来も問いかけている。すなわち、筆者自ら「ポスト資本主義」というテーマからは、あまりに遠い地点まで歩みを進めただろうか。(P243)と記述しているように、従来の資本主義を論ずるフィールドと比較して、空間的にも時間的にも到底収まらない範疇にまで取り上げ、論じている。
具体的には、本書の構造を見てみると、以下となる。
・序章=資本主義を座標軸にした“人類史”にまで枠を広げた問いかけ。
・第Ⅰ部=資本主義についての、時間軸に沿った、(一部科学との対比においての)考察。
・第Ⅱ部=科学と、社会性および人間を含む自然についての考察。
・第Ⅲ部=資本主義の今後の可能性としての、「緑の福祉国家/持続可能な福祉社会」の提唱。
・終章=再び“地球倫理”まで枠を広げ、新たな知のあり方を問う。
すなわち、第Ⅰ部と第Ⅲ部が本書の主としての資本主義の存在意義や今後についての論考であるが、著者は第Ⅰ部を論ずるために切り離せないテーマ(あるいは下支えとなるもの)として、独立した第Ⅱ部の章立てをして、第Ⅲ部へと導いた。更に大きな視点からの問いかけの序章と今後への方向性を示す終章によって挟む、という構成としていると思われる。
そこで私の持った問題意識は、資本主義のその後を問うという壮大なメインテーマを論ずるために、どこまでジャンルを超えて考察するのが適切なのかということである。例えば、第Ⅱ部では資本主義と類似性のある科学を主に取り上げ論じているが、いわゆる近代科学を生み出したキリスト教的な思考・行動形態による影響や、そもそも目に見えにくい文化・文明・民俗学的な縛り、歴史学的なアプローチなど、どこまで広げていけば良いのかといったことについては論じてみたいところである。いくつかの映画や火の鳥といった、このような論議には取り上げることの少ない分野にも触れたところに、筆者の強い思いやもどかしさが感じられました。

【視点2】日本は「緑の福祉国家/持続可能な福祉社会」になり得るのであろうか?
本書の問うポスト資本主義の一つの解は、第Ⅲ章の「緑の福祉国家/持続可能な福祉社会」であるが、その実現に向けて筆者は、格差が相対的に小さく、環境のパフォーマンスが良好な国として、スイスやドイツ、北欧などの国々を挙げている。
そして、日本については“人口減少社会のフロントランナー”として、真の豊かさのかたちとして実現していくべき社会像としても位置付けられる。(P215)としているが、具体的な実現の方法までの記述には至っていないと思われる。
上記の国々と比較しても、経済規模や人口のサイズが大きい日本が実現に向けて本気で舵を切っていくとしたら、「経済成長が全ての問題を解決してくれる」という強烈な縛りから国民を開放し、国家レベルで取り組んでいくことが、例え可能性としてもあり得るのだろうか?その具体的な方法について少しでも考えられればと思う。

【視点3】そもそも、進歩の基準とはどのように考えればいいのだろうか?
筆者は本論の最後に、21世紀は、なお限りない「拡大・成長」を志向するベクトルと、成熟そして定常化を志向するベクトルとの、深いレベルでの対立ないし“せめぎ合い”の時代となるだろうとし、それは困難を極めるプロセスでもあるに違いない、とも記している。そして、世界の持続可能性や人々の幸福という価値を基準にとった場合、定常化あるいは「持続可能な福祉社会」への道こそが、私たちが実現していくべき方向ではないか。ということを、本書の中心にあるメッセージとして、締めくくっている。(P244)
極めて多面的に、また俯瞰から細部に至るまで、様々な角度から“ポスト資本主義”を論じてきた筆者の、このシンプルなメッセージは、いわば「拡大・成長」を自明の理とした今までの資本主義からの決別ともいえよう。そしてこの決別は、従来型の見方からすると決して明るい未来を保証するものではなく、その実現には相当に高いハードルがあると思われる。
しかし、本書が希望を持たせてくれるような読後感を与えてくれるのはなぜだろうか?それは、筆者がこの決別を、形を変えた資本主義の進歩と捉えているからではないか、と私は理解した。そういう意味で、筆者が本書で伝えようとしたことから読み取れるテーマの一つは、資本主義も科学も限界を迎えているという現実を見据えたときに、(本書の中に記述があるわけではないが)こうした進歩に対する基準の持ち方そのものを、そもそも変えていこうという問いかけがある(人類規模での「死と再生」のレベルでのパラダイムシフト?)と考えるのは如何でしょうか?

■最後に
著者の広井良典氏は、本書を出す前に、『定常型社会―新しい「豊かさ」の構想』、『持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想』、『創造的福祉社会―「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』、『人口減少社会という希望――コミュニティ経済の生成と地球倫理』などの著作で、繰り返し経済の脱成長と定常型社会へのシフトを提唱しています。
本人の定義によると、定常型社会とは、「経済成長を絶対的な目的としなくても十分な『豊かさ』が実現していく社会のことで、物質的な需要が成熟している社会」のことで、子供や高齢者が、ゆったりと過ごせる地域に根ざした「新しいコミュニティ」を充実させていくことが、今そこに来ている人口減少社会を迎える日本を豊かにしていく鍵としております。
私は本書を読むことによって、実質的に世界を動かしている「資本主義」という、もう逃れることのできない巨大なシステムを、経済情勢や日常のビジネスとは違う新たな視点から多角的に捉えることの重要性を痛感いたしました。

おまけ、今月の1枚

久々に海の見えるホテルに泊まる機会がありました。東海地方のホテルからの落陽です。
日中は天候が優れず夕陽はあきらめていたのですが、落日の前に雲が切れ、慌てて望遠で写しました。
(7月撮影)

2017年08月31日(木)

2020年Flash終了のお知らせ。

今回は大里が担当させていただきます。

つい先日Adobeより2020年をもってFlashを終了するという発表がありました。
参照:Flash とインタラクティブコンテンツの未来

Flashと言ってピンと来る方がどれ位おられるでしょうか?
多くの方はあまり興味の持てない話題かもしれませんが、実はインターネットを利用するユーザー全体に影響を及ぼす結構大きな話題でありました。

私は関わる機会の多かった制作側の立場でしたので、以前からアナウンスされていた事を知っていたとは言ってもやはり衝撃的な発表でした。

そもそもFlashとは、Macromedia社が簡易なアニメーション作成ツールとして販売を開始したのが始まりでしたが、数あるアニメーションツールと一線を画したのは、再生専用プラグインを利用する事により、Web上でアニメーションを展開できる機能にありました。
このおかげで当時PCやOSやブラウザなどの環境によってWeb表示が非常に不安定だった時代、どんな環境でも安定して表示可能なクロスブラウザツールとしてFlashは一躍脚光を浴びました。

その後、各ブラウザでFlashプラグインが実装され、規模の拡大に伴いAdobeに吸収されたりしつつ、機能は格段に増え、Webだけに留まる事無く多くの分野に利用されてきました。
動画配信やゲームなど多くの利用者を獲得し、Web制作者にとってFlashは必須の技術であった時代もありました。

しかし、2010年にアップルのスティーブジョブスがFlashの脆弱性を糾弾して以降(Thoughts on Flash)、HTML5技術の定着と共に、Flash排除の流れは一気に加速します。
特にセキュリティ上の問題点は、アップデートを繰り返しても一向に収まる気配がなく、各ブラウザもFlash排除が主流となり、遂に今回本家本元のAdobeがFlashからの撤退を宣言する事となりました。(ゲームなど一部では引き続きサポートするようですが)

まさに栄枯盛衰といった感じではありますが、HTML5技術が完全にFlash互換かと言われると、まだまだ追い付いていないとも思います。
いろいろ問題はあったかもしれませんが、Flashは実に多機能で操作性も良く、デベロッパーの立場からすれば、これ一本で何でも出来る、非常に優秀なツールでもあったと思います。

まあ、個人的にも付き合いの長かったツールですので、非常に感慨深いニュースでありました。

2017年07月31日(月)

目的があることは未来につながる

6月は鈴木がお送りします。
企業では「目標数値」を掲げ、社員はその値の達成に向けて努力尽力します。
その達成のために、上司は部下を叱咤激励し、日々「どれだけ受注できた?」と耳にタコができるほど質問します。
部下も、数値のことばかりが頭に浮かび、日々疲れて新橋のガード下あたりでくだをまきます。

学校でも、高校までは「数値」を重視します。偏差値、全国模試の順位、となりのアイツの点数。少しでも点が取れるよう、偏差値が上がるように先生も生徒も努力尽力します。

それが当たり前になっている社会。「目標至上主義」。
それ自体、達成する喜びや夢の実現などに向けて、とても重要な要素です。

しかし、いつも思うのが「その目的って何?」ということです。

企業が売上目標を達成するのは何のためでしょうか?
偏差値を上げるのは何のためでしょうか?

何のために目標を達成しなければならないのかの議論や確認をしていないことが、日々の生活の中でどれだけあるでしょう?
「それって当たり前」という言葉で表される状態がまさに常態化し、聞かれると、「何のためだっけ?」となることがどれだけ多い事か。

もちろん、目的がなくても人は動くことができます。
しかし、その結果「思考停止」に陥るのです。手段を考えるだけの思考になってしまうのです。

ただ数値を負う毎日。それを毎年繰り返し、その数値で一喜一憂する。

「何のためにやるのか?」「何故それが必要なのか?」

この問いを常に自分に課すことで、目標達成の意味が理解でき、達成のための工夫にも、より深い思考がなされていくのではないかと考えます。

結果として、達成感の感じ方ややりがいに大きな差が生まれ、その先の未来の光を捉えることができるのではないかと考えます。

2017年06月29日(木)

こんな音楽を聴いていました! まずはビートルズについてです。

こんな音楽を聴いていました! まずはビートルズについてです。

今月は橋本がお届けします。
以前、男性合唱団での活動について記載しましたが、今回は私の好きな音楽について書いてみました。今回はまずはビートルズについてです。

ザ・ビートルズは、現役の時の人気やレコードセールスは今さら述べるまでもないのですが、既に活動停止から47年も経つというのに、今でも関連したニュースが話題になり、また新たな書籍も大量に発行され、その人気は衰えを知らない感があります。そう、まだビートルズは現役といえるかもしれません。そういう意味でも本当に別格ですね。

ビートルズの魅力は、何と言っても、多彩なジャンルにわたりながらもキャッチ―な良さを備えている楽曲の素晴らしさがありますが、演奏と一体になった卓越したコーラスも唯一無比と思います。(ちなみに、私はジョン・レノンの圧倒的な声の魅力に痺れてしまいました。)なお、ビートルズについて書くとしましたら、当然その音楽的魅力について記載すべきでしょうが、いざ取り組もうとしても、あまりに多くのことがありすぎて、怯んでしまいましたので、以下、ロックバンドの人間集団としてのモチベーションの観点から記してみたいと思います。

まず、バンドとしてのビートルズのメンバーと活動期間について見てみます。
ビートルズは、当然のように、いずれも英国リバプール出身の、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの不動の4人のように語られており、活動期間は1962年10月がレコードデビューで、1970年4月のポールによる解散宣言までの約7年半が活動期間といわれています。
しかし、実はメンバー構成から見ますと、第3期なのですね。ジョンは57年からビートルズの前身となった自身のバンド「クオリーメン」を率いて活動しておりましたが、メンバーは、結構入れ替わっておりました。最初にビートルズを名乗った60年当時は、ジョン、ポール、ジョージを含めた5名でしたが、後にベーシストが抜け、ドラマーがリンゴに代わった62年8月から上記の4名となり、解散に至るまでは不動の4人でした。
ということで、今回は通例通りの4名による活動のことについて記しますが、それでは、この4人になってからはメンバーが固定し、数々の奇跡のような作品群を生み出すに至った原動力は何だったのでしょうか?

そこで、ビートルズの活動を考察するために、作品をアルバム別に見てみましょう。
私は、イギリスオリジナルの全12枚を、以下のように整理してみました。
(「マジカル・ミステリー・ツアー」のみはアメリカ編集版)
1. ジョン・レノンがバンドの中心だった時期
 ・「プリーズ・プリーズ・ミー」(英国63年3月発売、以下同じ)
 ・「ウイズ・ザ・ビートルズ」(63年11月)
 ・「ア・ハードデイズ・ナイト」(64年7月)
 ・「ビートルズ・フォー・セール」(64年12月)
2. バンドとして4人の個性が活かされ、多彩な音楽を生み出していた時期
 ・「ヘルプ!」(65年8月)
 ・「ラバー・ソウル」(65年12月)
 ・「リボルバー」(66年8月)
3.ポール・マッカートニーが主導し、スタジオワークを駆使した時期
 ・「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド」(67年6月)
 ・「マジカル・ミステリー・ツアー」(米国67年11月)
4.4人のバンドとしての実態がなくなり、ソロプロジェクトと編集により作品化した時期
 ・「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」(68年11月)
 ・「イエロー・サブマリン」(69年1月、録音は「ホワイト・アルバム」の前)
 ・「レット・イット・ビー」(70年5月、発売は「アビー・ロード」の後)
5.再結成のように4人が集まり、作品として完成させた時期
 ・「アビー・ロード」(69年9月)
(なお、純粋に音楽的な傾向からは、初期:デビューから「ヘルプ!」まで、中期:
「ラバー・ソウル」から「マジカル」まで、後期:「ホワイト・アルバム」から解散まで、と分ける方が妥当です。)

このように見渡してみますと、結局、ビートルズはレコードデビュー前からジョンのバンドとして機能し、ジョンがバンドの維持に関心をなくしてからも、ポールが主導権を握ることによって何とか活動が継続されたが、限界を迎えてからレコーディングのために再結成し、その後自然消滅した、と理解するのがバンドとしての大きな捉え方といえるのではないでしょうか?

それではここで、メンバー間の心的関係を考察してみます。
もともと、1957年7月にポールがジョンのバンド「クオリーメン」の演奏を聴くことで2人は出会い、ポールはバンドを率いているジョンに魅せられ、ジョンはポールが多くのギターコードを正確に知っていることで、バンドに入れることにしました。そして、ポールが学校の1年後輩で、さらに多くのコードを知っているギター少年だったジョージをバンドに紹介しましたが、ジョージにとっても、やはりリーダーのジョンが兄貴分の存在でした。また、リンゴはリバプールのライバルバンドのドラマーとして知られており、実質引き抜かれたことから、他のメンバーからは一目置かれていましたが、バンド内の人間関係としては融和材的な存在でした。

したがって、バンドとしては、大半の曲を書きボーカリストとしても傑出していた、ジョンとポールという2人の天才が柱となっていましたが、「ジョンに対してのポールとジョージのあこがれと、それを見守るリンゴ」という基本的な図式がバンド存続の牽引力であったことは、解散に至るまで大きくは変わらなかったのではないかと思われます。
なお、数多くのヒット曲を送り出し、また殆どの楽器を見事にこなすポールが、音楽的には最も優れていて、移り気なジョンに代わって音楽面で引っ張っていたからこそ、中期(特にリボルバー以降)から先のビートルズが存続できたという見解には異論は少ないでしょう。比類なきバンドに育てたポールの貢献は計り知れないものがあります。

しかし、ポールは音楽面でのリーダーにはなれても、バンドという人間集団のボスには最後までなれなかった、ともいえるのではないでしょうか?
結局、リーダーでありボスでもあったジョンが、いわばメンターとしても君臨していた“勢いがあって幸せだった時代”から、ボスであるジョンがバンドに興味を失い、音楽面のリーダーはいてもボスは不在となり、“プロとして秀逸な作品を創り上げることはできた時代”へと移行しました。そして、ポールとジョージが、あこがれのジョンがもう振り向いてくれないことを悟り、またリンゴの調整力も及ばなくなったときに、唯一無二のバンドは内部から崩壊したのでした。(ちなみにジョンは、ヘルプ!の頃には、すでにバンドを解散しても良いと考えるくらい気持ちは離れつつあったとのことですが、通説とは逆に、66年にオノ・ヨーコという同志と出会ったことで、持ち直したようです。)

ところで、ビートルズが傑出したバンドとなれた大きな理由の一つに、私は4人のパーソナリティの違いを挙げたいと思います。
そこで、以前紹介した性格心理学「エニアグラム」による分析を試みてみました。
私見では、各メンバーのタイプは以下となります。
・ジョン・レノン=タイプ4(個性的な人)
・ポール・マッカートニー=タイプ3(挑戦する人)
・ジョージ・ハリスン=タイプ1(完全を目指す人)
・リンゴ・スター=タイプ9(調和と平和の人)
それぞれのタイプを選定した理由については、スペースの関係で割愛させていただきますが、これらのパーソナリティの違いがベースにあり、かつ音楽的・人間的成長が見事に相俟って化学反応を引き起こしたことで、ビートルズはあれだけの存在になった一面もあると、私は考えております。ちなみに、メンバーが不変な他の著名なバンド、例えばレッド・ツェッペリンやクイーンも、全員が違うタイプと思われます。このような見方は面白いですよ。

ここで改めて考えてみますと、ビートルズはあれだけの素晴らしい作品を残しましたが、各メンバーは、皆それぞれの生き方を探し、成長していく時期でもある20代だったのですね。20代にあれだけの仕事をしてしまったメンバー(特にポール)の、解散後の大変さは想像を絶するほどであったでしょうと、妙なところで心情に思いを巡らしてしまいました。
そして、今回改めて聞き直してみて、今でも私たちに多くの感動を与え、また多大なる影響を及ぼしているビートルズは、まさに奇跡としか言いようのない、次元の違う存在だったと、改めて実感しました。

ということで、とても駆け足でしたが、書き始めると全く限りがありませんので、詳細については、また機会を設けてみたいと思います。

なお、以下はおまけで、私が元々どんな音楽を聴くのが好きだったかを少々紹介させていただきます。
私が最初に買ったレコードは、吉田拓郎の「結婚しようよ」のシングルでした。その後数年は、青春の伴走者のように、吉田拓郎のシングルとアルバムをほとんど買い、かなり聴き込みました。
そして同じころ、ビートルズが好きな生徒がクラスにいたこともあって、お小遣いをはたいてビートルズの赤盤、青盤のベスト盤を買って聴き込んでから、ビートルズにはすっかりはまりました。洋楽では、レッド・ツェッペリンに代表されるハードロックと、キング・クリムゾンやジェネシスをはじめとしたプログレッシブロックは、かなり聴き込みました。主にブリティッシュ・ロックでしたね。
また邦楽では、男が惚れるバンドといわれた甲斐バンドや、そして今でも限りないリスペクトをもって聴いている中島みゆきさん(どうしてもさん付けをしてしまいます)が、好きなアーティストです。
その他、クラシックの分野では、父が好きだったこともあり良く聴いていたショパンや、全音音階による不協和音を多用した、西洋音楽の枠にとらわれない妖しい印象を持つドビュッシーは好きです。加えて現代音楽に分類されますが、ゴジラの音楽に代表される伊福部昭の独自性を持つ土着的な世界観には、とても惹かれました。
また、ジャズはあまり聴いていたわけではないのですが、ジョン・コルトレーンだけは、そのストイックな、魂をさらけ出すようなサックスの迫力には恐れ入り、聴き込みました。
今回は以上といたします。

おまけ、今月の2枚

自宅の近く、都電学習院下駅付近の、神田川沿いの満開の桜をバックにした都電です。
ちなみに、都電は今年から“さくらトラム”という愛称になったとのことです。
(4月撮影)


GWに家族と出かけた、大好きな京都東山のシンボル法観寺の五重塔、通称“八坂の塔”です。
晴天の夕日に映える塔の立ち姿がとても艶やかで、何度も振り返ってしまいました。
(5月撮影)

2017年05月30日(火)

糖質制限やってます。

Web担当しております、大里です。
私が糖質制限的な食生活を始めてから、かれこれ3年目に突入しております。
糖質制限については、各方面で様々な意見がありますが、学説的な話は置いておいて、私がこの3年で実感した事や気が付いた事に沿って書いてみたいと思います。

糖質制限は自発的に始めたわけではなく、もともとは連れの癌治療の為にスタートしました。
因みに、一般的には糖尿病の治療方法の一つとして認知されている糖質制限ですが、癌細胞を抑える意味でも効果があるらしく、その成果もあってか連れの癌は現在も再発することなく治癒しています。

巻き込まれるように始まった糖質制限生活ですが、当初は正直厳しいものでした。
漢字だけ見れば、糖分を控えるだけなように思ってしまいますが、主に制限するのは炭水化物です。
炭水化物の多い食材の代表と言うと、米、小麦、いも類、、、つまるところ主食は全滅で、ごはん、うどん、そば、パンなど制限対象になります。
果物もバナナなど対象になりますし、菓子類はもとより飲料でも意外に炭水化物が多いものがあったりするので、日々のメニューをどうすれば良いのかかなり困りました。

逆に食べてOKなのが肉類、魚、チーズ、豆腐などの大豆系、いも類以外の野菜などなので、ざっくり言えば「おかず」中心の食事と考えれば想像しやすいかもしれません。
ここで誤解しがちなのですが、カロリーオフと糖質オフは大きく意味が違います。
糖質制限の食生活では、炭水化物を排除する為に摂取するカロリーがかなり低くなるので、体力を維持する為にもカロリーオフは考えません。
むしろ積極的に摂る必要があります。
そういう風に書くと太るんじゃないかと心配になるかもしれませんが、糖質制限生活を実践すると、確実に痩せます!

糖質制限生活で実感できる事は、先ず痩せること。
それから空腹感が抑えられる、食後に眠くならない、アレルギー、アトピーが改善するなど、体質全般の改善が実施2ヶ月目位から見込めます。
逆に言うと、炭水化物中心の食生活は、どうやら身体には良くないように思えます。

ただ歴史的に炭水化物(米、小麦、いも、トウモロコシ)は安く大量に人類を養う事ができるわけで、それを無くす事は無理だし、実際のところ炭水化物は美味しいものが多いです。
問題なのは、食事の中の炭水化物の比率でしょうか。
ラーメンライスとか、ハンバーガーにポテトフライなど炭水化物に炭水化物を組み合わせた食事が実に多い。
恐らく普通に食事すると炭水化物は6~8割は占めていると思われるのですが、それを2割以下にするのが糖質制限的な食生活ですが、それは無理という方も5割以下を目指すだけでも効果的なダイエットになると思います。

恐らく健康を考えると、糖質制限は非常に効果的だと思うのですが、お上は否定的な意見が多いです。
まあ、日本のコメ文化を考えれば、ただでさえ米の消費量が下降ぎみの中で農政的に糖質制限を認めるわけにはいかないのでしょうね。
それでも、ここ数年で糖質制限食品は随分増えました。
・スポーツジムのライザップでは糖質制限をメニューに取り入れています。
・ラーメンやうどんの代用として、糖質ゼロ麵
・コンビニのローソンが糖質を減らしたパン、ブランシリーズを販売
・すきや、松屋などの外食でも糖質制限メニューを発表
などなど、随分と社会に浸透してきたように思えます。
それだけ、糖質制限を実践する人が増え、業界も無視出来なくなってきたのでしょう。

効果的なダイエットをしたい方は糖質制限はおすすめです。
薬を飲んでも、医者に通ってもなかなか改善できない心身の問題がある方にも、解決方法となる可能性があります。

2017年04月30日(日)

櫻井信夫写真教室作品展「視点XⅦ」のご案内

今回は1年ぶりになりますが、橋本から写真展の紹介をさせていただきます。

私が趣味で参加している櫻井信夫先生の写真教室では、毎年1回、撮りためた写真の中から、テーマを決めて5枚の組み写真の形で展示をしております。

今年は例年以上にテーマも写真も選ぶのに苦労をしてしまい、試行錯誤をした結果という感じではありますが、宜しければ足を運んでいただければ幸いです。

今年のテーマは、「硝子の中の東京駅」で、以下が案内文となります。

クラシカルな東京駅舎は、改めて観てみると、近代的なビル群に囲まれた中で、時が止まったような、とても魅力的な異物と見なすこともできます。そして、ガラスを通すことによって、周囲とは全く質感の違うレンガ造りの異物が、一層引き立てられるように、私には感じ取れました。

首都の気ぜわしさの象徴ともいえる巨大なターミナル駅ですが、あまりにも有名で、わざわざ立ち止まって観ることのなかった東京のランドマークの、新しい魅力が少しでも伝えられれば嬉しいです。

【写真展概要】
日 時 : 2017年4月7日(金)~9日(日)
午前10時~午後6時まで(最終日午後4時まで)
場 所 :三鷹市芸術文化センター(アクセス
三鷹市上連雀6-12-14
交 通 :JR三鷹駅南口 小田急バス②番乗り場で乗車
3つ目「八幡前・芸術文化センター」下車 バス停前

※掲載写真は、5枚の写真からの抜粋です。

2017年03月30日(木)

自信をつけるこんな方法!! 

今回は、鈴木がお送りします。
皆さんは、自信をつけたいって思いますか?

私は、無いよりはあった方が、自分を前に進めるためには良いかなと感じています。
自信をつけるために、小さな成功を積み重ねようとしてたくさんの 小さな目標を設定したり、大勢の前でスピーチする機会を得たり、営業職の方であれば 飛び込み営業をしてみたり、見た目を自信ありそうにするためにイメージコンサルタント に服装をコーディネートしてもらったり・・・。

多くの方(私を含む)が、様々な方法を使って自信をつけようとされています。
素晴らしいことです!

しかし最近、こんな方法もあるのか!!!と感じる自信のつけかたを知ったのです。
それはこういうものです。

<自信の付け方>———————————————

Step1 「根拠のない自信」をもつ
Step2 その「無い根拠」を裏付けるための努力をする

これは、脳科学者の茂木健一郎先生が言われている方法です。

↓↓是非動画もご覧ください↓↓
茂木健一郎『根拠のない自信があるとうまくいく』
https://www.youtube.com/watch?v=zBT7eb-4gfo
————————————————————-

「こりゃいい!」って思いませんか?
まず、手っ取り早く自信を持つ。そうすることで、自信を持った行動や言動が できるようになる。
この方法だと、一瞬で自信持てますよね(笑)。
時間をかける必要なく、お金もかけずに自信を手に入れることができます。

まずは、自信をもった自分を想像(妄想?)してみてください。
もしくは、芸能人や偉人、歴史上の人物など、自分が憧れる人を思い浮かべてください。

その姿を基に、次の瞬間から自信をもった自分になってみてください。
あとは、その自分が習慣になるよう、どんな頑張りをすればよいのかを考えて 実行するだけ。

方法としては超シンプルです。

是非やってみてください!

2017年02月28日(火)

“こころの内にある”ダイバーシティについて  ~男性性・女性性とエニアグラムの視点から~

今月の担当は橋本です。ダイバーシティに関して近頃思うところについて記します。

現代の企業経営においてダイバーシティが必要不可欠であることは改めて言うまでもありません。経済産業省でもダイバーシティ経営やなでしこ経営の表彰企業を選定し、推進に向けた卓越した実績を評価しておりますし、様々な取り組みが成果に結びついている企業も着実に増えてきております。

しかし反面、経営戦略に盛り込んでいる、制度や福利厚生の充実を図っている、そしてそれらの定着を図った教育を推進している・・・など、様々な手を打っていても、どこかしっくりこない、現実的にはなかなか実感が持てない、といった感触が拭えないという声も多く聞きます。

そこで、どうしても気になる考え方が、人間の内なる「男性性と女性性」および「エニアグラムによる9つのタイプ」による切り口です。今回はそのポイントとなるところを紹介させていただきます。

 

男女の役割期待意識と内なる男性性・女性性から考える

最近、女性活躍推進を主なテーマとしたダイバーシティについての話を聞く機会が複数ありましたが、そのなかで、特に日本の多くの企業においては、女性が活躍しにくい目に見えない壁として、まずは男性性・女性性に対する理解をすることが大きな鍵となるのではないかということを、改めて強く感じました。

一般的にいわゆる男らしさ、女らしさを表す言葉として、男性的な特性は、論理性、力強さ、リーダーシップ、目標達成力、決断力などがあり、女性性としては、感性力、共感性、柔らかさ、細やかさ、受容力などに優れていることがあげられます。

もちろん、このような特性は、男性・女性共に、グラデーションのように備えているものですが、男性の中には、女性らしい豊かな感性や柔らかさを強く感じさせる方がいれば、女性の中でも、リーダーシップがあり決断力に優れた“男前”の方も決して少なくありません。

企業経営に必要な要素としては、多くは男性性が求められていることから、男性性の強い女性が活躍しにくい風土がまだまだ多いということ、そして強い男性性が評価される風土の企業では、当然のごとく女性性への理解が殆ど期待できないということがあります。さらに言えば、その背景には日本社会に男女の役割期待意識(性別役割分担意識)が根強く残っていることに由来すると仮定すれば、なかなか問題は根深いのではないかと思われてなりません。

私は、企業においてダイバーシティを進めていく一つの柱として、女性活躍推進を本当の意味で浸透させていくには、男性社員(特に管理職)に対して論理的で切れのある女性講師が“女ごごろセミナー”を、女性社員に対しては共感性や受容力に優れた男性講師が“男ごころセミナー”を徹底して実施していく必要があるのではないかとさえ思っております。

 

無意識のうちに発しているエネルギーの型の違い=エニアグラムで考える

私は、ダイバーシティを推進するための様々な施策を実施していくにあたって、各組織(職場)それぞれに、本当に多様性を許容しあえる状態として、そもそも人間は多様な存在として生まれてくるということへの、本質的な理解が必要と考えております。

例えば、同じ両親から生まれ、同じように教育を受けたにも関わらず、きょうだいで全然性格が違っているという例などからも、「人間の性格や行動は、本能的(生得的)な要因によって異なってくるのではないだろうか?」という仮説に立つことが合理的と思われます。

そこで、私がいくつかの心理学的アプローチを比較検討した結果、人間の多様性を知るためには「エニアグラム」の考え方が大変役に立つことを実感いたしました。

エニアグラムとは、「性格は特定の気質から形成され、人間は生まれながらにして9つの気質タイプに分けられる」という考えに基づいております。自分の無意識な内面に焦点を当てることで、人間の態度、行動、現象における各性格タイプの根源的な怖れや囚われに気づき、各人が本来持っていた能力を活かすことに結びつけることのできる、性格分析に有効なパーソナリティ心理学に分類される理論です。

エニアグラムの考え方が性格の違いの理解に役立つ大きな理由の一つは、同じ刺激に対して人間が無意識に自分の身を守ろうとする反応の仕方(エネルギーの出し方)が9つのタイプに分かれることが、膨大な臨床データや脳内神経伝達物質の活動の分析によって裏付けられたことにあります。(人類が種の保存をしていくために、生物多様性の原則が働いているのかもしれません。)

にわかには信じがたいことかもしれませんが、人間は、そうした9つの気質タイプの一つをもって生を受け、そのうえで様々な経験を積み重ねることによって、後天的にその人なりの特性が育まれ、性格が形成されていくともいえるのです。

タイプを理解するために、直近のアメリカの大統領の例を挙げてみますと、オバマ前大統領はタイプ5(観察・分析力に富み論理的な人)で、トランプ新大統領はタイプ8(強さを求め自己主張する人)であると推測できます。これだけ極端に違う性格を見せつけられますと、後天的に培われたものだけで説明がつくとは私には思えません。ちなみにヒラリー・クリントンは、小池百合子東京都知事と同じタイプ3(成功を追い求める人)であると思われます。

エニアグラムの各タイプ別の特徴他、詳細については今後の機会に紹介させていただきますが、本当にダイバーシティが根付く組織(職場)となるためには、その構成員一人ひとりがしっかりと自己洞察を行い、自分と異なるタイプの他者に対しても、心から受容し合うことのできるような状態をつくることが必要と確信しております。

 

以上、今回紹介した2つの視点は、それぞれ深堀をすると心の中のデリケートなところまで触れてしまう可能性もありますので、実際に浸透を図ろうとした場合、なかなか一筋縄ではいかないですが、今後もこだわりを持って学習していこうと思っております。

 

【おまけ】今月の1枚

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冬の井の頭公園での撮影です。穏やかで風もない晴れた日に訪れましたが、寄り添うような2枚の落ち葉が可憐で、思わずシャッターを切りました。(2016年11月撮影)

2017年01月30日(月)